AbemaTVってなんなんだ

という話を会社でした。いちおう自分の会社のサービス最大のライバルといってもよく、みんないろいろと考えていた。

スマートフォンもPCも、テレビと違って「いろんなことができる箱」である。そこに単純にテレビと同じものを持ち込もうというのは正気の沙汰ではないように思える。

主に2つの説、というかみんながある1つの説でコンセンサスに達しているのに自分だけ別の説を推すという状況になったので、比較検討してみる。

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現実としての保毛尾田保毛男

(またしても)旬をのがしてしまったが、先日の「保毛尾田保毛男騒動」について。

https://i.ytimg.com/vi/kXzLEgCHeEk/hqdefault.jpg

この記事を書くきっかけは騒動とは全く無関係だったりする。ふつーに昔のバラエティ番組をあさってたら偶然に「保毛太郎侍」の動画を見てしまい、ああそういえばちょっと前話題になったなと。

倫理的にいえば、もちろん性的思考を笑い者にすることはよくない、という話になる。

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11/20~11/26のアンテナ

今週読んでいた本

差異と欲望―ブルデューディスタンクシオン』を読む

差異と欲望―ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む

差異と欲望―ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む

先週から読んでいるけど、半分超えたので少し感想を。

「欲望」について考えるに際して、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』に代表される消費社会論と別の軸を与えてくれた。

消費社会論的な考え方は、同質な集団のなかでどう自分を位置づけるかを、ディスタンクシオン論は社会階級のなかでどう自分を位置づけるかに注目している。前者は横方向の軸、後者は縦方向の軸を与えてくれる。

今週知ったこと

アダルトビデオ業界は保守的

news.denfaminicogamer.jp

勤務先のグループ会社のまとめサイトより。

AVだからこそかもしれません。たとえば、デパートの店員さんが仕事でミスをしても捕まることはそうありません。でもAV業界で過ちを犯すと一発で捕まってしまことすらある。だから、銀行員のような慎重な性分の人が必要になるんですね。

これ、「暇と退屈の倫理学」で紹介されている「定住革命」と同じ系統のショック。

社会の周縁にある業界には、「まっとうな世界で生きていけないような変わった人たち」がいるのだろうという勝手な先入観をもっていたけれども、周縁部だからこそ中央に目をつけられないようにしないといけないという。

(11/26)

11/13~11/19のアンテナ

今週読んでいた本

差異と欲望 ブルデューディスタンクシオン』を読む

差異と欲望―ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む

差異と欲望―ブルデュー『ディスタンクシオン』を読む

ついに。

今週見た映画

ザ・サークル

gaga.ne.jp

問題提起系映画かと期待していたんだけど、そうではなくてファンタジー映画だった。 最後のオチがまぁ「なるほどー」とはなるけど、それ以外はうーんという感じ。

でもぶっちゃけ今の時代、Googleアカウントは人権のひとつみたいになってるし、政治系の活動にもどんどん進出してきてますよね。

mirai.mainichi.jp

最近の例がヒットしなかったのでちょっと古いやつだけど↑とか。ファンタジー映画だといいつつ完全にファンタジーだと笑い飛ばすことはできないなと途中気づいてしまった。フェイクニュースがどうこう、みたいな話もあるけどGoogleの検索やFacebookのフィード表示アルゴリズムの社会に与える影響は一私有企業がもっているPowerとしては歴史上ないレベルで大きい。局面によっては、この映画の描く世界よりもより深く大きな影響力をもっているかもしれない。(やっぱり、エンタメ映画なので表層的な部分にしかふれてない。)

でも、日本語版のキャッチコピー「いいねのために生きている」は全くこの映画の内容を表していない。これにつられて見に行った自分のような人ははぁ?となると思う。

(11/15)

11/6~11/12のアンテナ

今週読んでいた本

法のデザイン

法のデザイン

法のデザイン

まだ5,6割しかよんでいないのだが、このあたりまではポストインターネット時代の「メディアコンテンツ」をめぐる話が多い。まぁオリジナルが存在せずたえまなくコピーされるデジタル情報とメディアコンテンツという話は昔からホットトピックなので割かれるページの割合も多いのだろう。

法というものは、「こんな世界だったらいいな」という各個人の希望からボトムアップに合意形成され策定されるものであってほしい。法はルールだから仕方なく従うものでなく、それに従うことによってよい社会ができるものであるべきだ。

著作権についていっても、それは著作者の権利がこの程度守られることによって、創作活動を行う人の生活も成り立つし新しく創作活動を始めようという人も生まれる。一方で需要者もこれくらいの権利の制限であれば消費にきたさないし、バランスがとれるでしょう、、という意図で存在するべきものであるはずだ。だから著作権の規定を変化させることは、その社会における創作の位置づけの表示になる。

コンプライアンス法令遵守と読むことは、自分たちの考えるよい社会というビジョンを放棄して外部の価値観に隷従することを意味する。ロビー活動とか聞くと悪そうな感じがしてしまうけれども、「自分たちはこういう社会を実現したい」というビジョンを具象化しようとする創造的な営みなのだと思った。

知ったこと

ニュースじゃないけど知ったこと。

ドイツではHIVポジティブな人のためのゲイパーティーがある。(体制ない人は読まないほうがいいかも)

日本のゲイシーンに「ポジ乱」という言葉があるのは前から知っていた。これが日本固有の文化なのかどうなのか知らなかったんだけど、すくなくともドイツには同様の文化があることを発見した。

HIVポジティブのことを一般にPOZと呼ぶそうだが、POZ文化というものが他の国にもあるらしい。

www.vice.com

www.vice.com

知ってどうするの、とは聞かないで。

(11/6)

10/30~11/5のアンテナ

読んでいた本

暇と退屈の倫理学

読了。

自分らしいキャリアのつくり方

自分らしいキャリアのつくり方 (PHP新書)

自分らしいキャリアのつくり方 (PHP新書)

そろそろちゃんと考えないとなぁと思い始めているわけです。

WEB系の会社って、大学の研究室みたいな雰囲気があるところが多いと思う。たしかにゆるいし居心地はいいんだけれども、一方で10年後20年後このままっていうわけにはいかんだろうという漠然とした不安がある。というわけでなんとなく読み始めてみた。

180度視点が変わった!目からうろこ!みたいなのはないんだけど、なんとなく転職するとしたらどういう基準や方向性にしようか、みたいなところが明確になってくる。

こういう本ばかり読んでいるのはダサいと思うけれども、かといってまったく読まないのも損だなぁという思い。でも昔の自分が今の自分をみたら、「世俗化したなぁ」って感想を持つような気がする。

ニュース

最近この欄にのる記事が少ないことからわかるように、なんか最近これは取り上げようって気になるニュースがない。

このニュース欄は基本的にRSSリーダーに突っ込んだフィードが情報源なのだが、これまであまり購読フィードの見直しをしてこなかった。東洋経済オンラインとか現代なんとかあたりが結構多く登場してきたと思うが、そこらへんのサイトが取り上げるテーマってやっぱりそのサイトの色があると思うんですね。で、そろそろ飽きてきてる頃なんだと思う。

というわけでいっそニュース欄をやめちゃうか、RSSフィードを入れ替えるかどっちかしようかなーと思っている。おすすめのRSSフィードがあったらおしえてください。

「インスタ映え」する美術展が増殖中──Instagram時代に変容する「新しいアートのかたち」が見えた

wired.jp

ちょうど前の記事でインスタグラムと消費について考えていたけれども、インスタグラムxアートってなかなか良い共犯関係ですよね。

単におしゃれなだけじゃなく、洗練された趣味ももっているアッピルができてしまう。

k5trismegistus.hatenablog.com

(11/5)

ゲーミフィケーションされる消費

とりあえずまずゲーミフィケーションというものについて考えてみる。

komugi.jp

こちらのページで引用されているゲーミフィケーションの第一人者? であるジェーン・マクゴニガルという人によれば、ゲーミフィケーションの四要素は

  • 徹底した楽観性
  • ソーシャル性
  • 疎外されていない労働
  • 物語性

であるという。(引用した日本語サイトの訳は良くないと感じたので自分で意訳)

でも、僕の考えるゲーミフィケーションの本質は「条件を満たしたら褒められること」である。

テストで良い点を取れば褒められる子供じゃない限り、ふだん条件をクリアしただけで褒められることはそうない。誰かに喜んでもらおうと思ったら、まず何をしたら喜んでもらえるかを考えるところから始めないといけない。

でも、ゲームは「これをやったら褒めてあげるよ」というのが事前に示されていて、そしてそれをクリアしたら褒めてもらえる。なんてすばらしい世界なんだろう。

いきなり本題からちょっとそれるけれども、ゲームが今ほどゲーミフィケーションされたのはいつなんだろうか。 最近のゲームはSteamやらPSトロフィーやら、ゲームの世界観とは関係なく「こんなことしたら1個バッジがもらえます」みたいな制度がある。昔のFFにも宝箱回収率、みたいなやりこみ指標は存在していた。それが進化したのがトロフィーだろうか。

僕のやっていたCoDシリーズにもそういうのがあった。まぁ「難易度ベテランでキャンペーンクリア」みたいなのがあるのはいいんだけど、「手榴弾1つで4人同時に倒す」とか「1ステージ中ナイフで10人倒す」みたいなゲームの本筋と一切関係ないものも多い。

昔から経験値を貯めるとレベルがあがる、レベルが上がると強い敵を倒せる、強い敵を倒すと物語を先に進められる…といった形で「条件を満たしたら報酬」という仕組みは存在している。(というかそれがゲームだし) でも、昨今の「トロフィー」のように単発で細かく報酬が得られるっていう仕組みがゲームで一般的になったのは最近のことのように思う。

さて、余談はこれくらいにして本題に入る。

「ほしいものが、ほしいわ」という言葉で表されるように、近代社会は「自分らしさ」をマスプロダクトで表現するという倒錯した世界である。 既製品をどうコレクションするか、が個性なのである。 我々のまわりには物が溢れているようでいて、我々は常に物を欠乏している。

こんな世界に対するこれまでのアプローチのしかたが、世界観を提供することであった。 結局買うのはマスプロ品だとはいえ、このような世界ではまだ選択肢がある。ブランドが提供するロールモデルがあって、それを適宜取捨選択しながら既製品の個性を身に着けていくのだ。 人は個性的でなければならないという観念があったためか、個性を持とうとすることが正常な欲望をもっていることを示していた、ということなのだろうか…。

でも、最近のアプローチは世界観をともなわないものになってきているように感じる。 それを特に感じるのが、フォトジェニック消費である。 カラフルなわたあめとかナイトプールとか、なんら世界観を構成するものではない。 そういう流行ひとつひとつは個別に存在しており、お互いに関連をもつものではない。 それらをひとつひとつ消費し、インスタにアップすることで「実績」を解除していくかのような消費スタイルが生まれていると感じる。

ここでは、もう他人と違うものを求める必要がない。 外から達成すべき事項のリストがやってきて、それをこなしていくことが正しい欲望のありかたとなりつつあるんじゃないだろうか。 フォトジェニック消費の特徴は、価値の多様性があまりなさそうなところ。個性的はあまり存在せず、個人個人は一元的に判断される「オシャレ度」「リア充度」ではかられる。

インスタグラムは「セルフブランディングのためのSNS」といわれることがあるが、ぼくはどうも「ブランディング」という言葉は不適なのではないかとおもうわけです。強いて言うなら、「マウンティングのためのSNS」だろうか…。

いいか悪いかは、それぞれ思う所あるでしょうけどね。