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「日本の心を大切にする」ことの野蛮さについて

もうすぐ参議院選挙であるけれども、不気味なくらい盛り上がっていない。
というよりも、日本の国政についての話題が不思議なくらいマスメディアに現れない気がする。政治の話題といえば東京都知事選といった具合だ。

(余談だけど、安全保障問題にはじまる「野党共闘」というのが「野合」なのかどうなのかという議論がある。安全保障は国家の根源的な機能であるということを考えると、僕は野合ではないと思う。 「どのような過程にも、もし多くの矛盾が存在しているとすれば、その中の一つはかならず主要なものであって、指導的な、決定的な作用をおこし、その他は、副次的、従属的地位におかれる。」と毛沢東が言ったそうだが…。(最近はすこし毛沢東思想に興味がある) )

なぜここまで盛り上がらないかといえば、コンビニの新商品のように現れては消える新政党に飽きてきているというのが実際のところなのかもしれない。

今回はそんな現れては消えていく政党についてである。

いつからあるのかは分からないが、多分今回の参議院選挙がデビュー戦であるだろう政党の中にどうしても名前が気に食わないところがある。それが表題にもある「日本の心を大切にする」党である。

この名前は、我々に対して「日本人」としてのアイデンティティを強要しているようで、とても腹立たしい。
だいいち、日本国にうまれたからといって「日本」というエンティティに対してどれだけ現実性を感じるのか。

自分は生まれてから何度も引っ越しをしているけれども、基本的には南関東エリアと京阪神エリア、つまり都市部にしか住んだことがない。今まで住んだ中で一番田舎だったのは東京都府中市だと思う。
「東京だけが日本ではない」というけれども、この言葉に対してあまりリアリティがない。(もちろん東京以外にも住んでいたわけなので、「都市部だけが日本ではない」に実感が持てないということだろうか。)
沖縄と四国には旅行ですら訪れたことがない。
嫌な考え方かも知れないが、地方出身の人が「自分の実家から一番近い駅までは車でxx分~」とか言っているのを聞くと、この人の家に生まれなくてよかった、と安堵する自分がいる。
そういった人たちに対して「日本って便利だし物質的な豊かさもあっていいところだよね」と言うのは日本の生活=東京を始めとした都市の生活というのを無意識に前提とした象徴的暴力である。

同様の問題は、住んでいるところだけではなく社会的階層においても起こる。
たとえば日本で「子どもの貧困」問題があるというが、これにたいしても実感が無い。
データでは知っているし、そんなことどうでもいいと切り捨てているわけでもないけれども、子供を抱えて貧困に苦しんでいる人と直接関わったことがないからだ。
自分もまだ世代的にまだ親になる世代ではないので(特に都市部では)同年代にそういう人がいないというのもある。

逆に富裕層や上流階級で何が行われているのかも実感が無い。
宝塚音楽学校の卒業生が関西の社交界でどういう役割を果たしているのかなんて話を聞いたことがあるんだけどライトノベルの世界の話みたいだった。

このように、日本国民は日本国籍を持っているということぐらいしか共通点はなく、その見ている世界は住所、社会的階層、その他の要因によって全く見えている世界が異なっているのである。
それなのに「日本の心」なんていうものが存在すると考えている連中がまともなはずがない。確実に人を欺こうとする者達である。
より強い表現を使うと、それはアイデンティティに対する暴力である。
彼らの考える「規範的日本人」ってはたして存在するのだろうか?というよりむしろ今まで一人でも存在したのだろうか?

自分は沖縄にいったこともないんだけれども、特に沖縄の人たちはこういう意識を持っているのではないだろうか?
もともと沖縄は独立国だったわけだが、突然日本に併合され実質植民地のような扱いをうける→本国の起こした戦争で本国よりも密度的には大きな被害を受ける→さらに本国を打ち負かした違う国に占領される→解放後もその国の基地が残っている…という経緯をたどっているわけである。我々本土人はその歴史について真剣に考えてきただろうか。

沖縄に基地があっても、それは沖縄を守るためのものではなくて宗主国日本を守るための基地なわけである。散々宗主国として苦しめてきた挙句、「同じ日本人だろ?日本の防衛のために多少の負担は我慢しろよ!」っていうのは虫が良すぎるんじゃないかと思うのである。