おどりゃクソ森

細かい話だが、成人向け漫画(同人誌も含め)で好きな属性として「裸足」がある。
今回はこのことについて考えてみる。


第一にどうして裸足がいいのか、ということから考えたい。

自分は小さな頃から、裸足で過ごすのが嫌で常に靴下を履いていたそうだ。昔は家の中でもどんな暑い日でも靴下を履いていた。
最近では家の中なら裸足で過ごすこともできるようになってきたが、相変わらず裸足で玄関の敷居を越えることはできない。記憶に残っている範囲ではサンダル履きで外出をしたことはないはずである。
この例からわかるように、足というものは自分にとって隠すべきものであり、忌むべき存在であったとすら言えるだろう。
ジョルジュ=バタイユが雑誌「ドキュマン」に寄稿したエッセイ、「足の親指」(※)の中で足の親指は人体で最も醜悪な部分であるとすら述べている。現代では靴も進化しているし、農業に従事していて泥の中に足を踏み込むようなこともないので、きれいな足は増えていると考えられるがやはり人間性の対照としての動物を感じさせるような部位であるということはいえるのではないだろうか。
足先というものは、「理性的な」現代社会ではできるだけ隠しておくべき下品なものなのである。

とはいえ、これは理性の世界の話。エロティシズムの世界ではこの関係が逆転する。普段抑圧されている分、激烈に「下品さ」を求めるようになるのである。
その一つの表出が、裸足嗜好になっているのだろうと考えている。絵なのでもちろんそんなことはありえないのだが、汗の臭いというものも感じられるような気もして、それもまたよい。
これは自分の趣味ではないのだが、腋毛嗜好というものも世の中には存在していてこれも下品さに向かう一つのアレンジメントであるといえるだろう。

(一方で、世の中には靴下があったほうがいいという人もいる。
裸足というものは今まで述べてきたように、下品さや野性と結びつく。それが駄目だという人もいるのだろう。ファム・アンファン嗜好とでもいうか…。「少女」嗜好というか)


しかし世にあふれる成人向け漫画を読んでいると、おそらく靴下などをはいたままのものが多数派になっているだろう。(統計を取ったわけではないが、そう感じる)

裸足を描くのは難しいし、時間がかかるというのもあるだろう。
もともと自分は絵が下手なのであるが、靴を履いた状態と裸足で比べると圧倒的に前者が描きやすい。プロの絵であっても、顔は可愛くかけているのに足先を見ると異様に指が長かったり、角度がおかしかったりする場合もある。
顔だけはそれなりに描けるけど「絵」は描けないみたいな人が多くなっているというのもあるだろうし、描こうと思えば描けるけど締切があるし裸足にすると時間がかかるので靴ありで描いちゃえ、というのもあるだろう。

そして、さきほど述べたファム・アンファン嗜好、これが大きく効いている気がする。
成人向け漫画というものは、オタク系の非リアをメインターゲットに据えている。
自分もそうなのだが、この層は実際の女性とはあまり深い関わりがない。このような環境のもとにいると、非現実的なイデアルな女性像を理想として持つことが多い。(アイドルはトイレにいかないみたいな感じで、とにかく「汚い」要素は全く持ち合わせていないような…。処女厨もこの一種)
あえて実写ではなく絵にこだわるのは、漫画の中には現実には存在しえない「汚い」要素を持たない女性がいるからなのだろうか。
そして、彼らに呼んでもらうために足先の持つ野性や、汗の臭いといった要素は、「汚い」ものとして排除されるのである。


マクルーハンがメディアとはメッセージである」と述べたのは、簡単に言えば「諸メディアには特性がある」ということだと思っている。
これとはちょっと違うが、ポルノ作品において漫画という表現形式は主流の実写作品とは異なるポジティヴィテが存在しているがゆえに、「裸足」は排除されがちであるといえるのではないだろうか。




酒井健さんのバタイユ・シンポジウムに出席した際にお手製の邦訳コピーを頂いたのだが、書籍化はされていないようである。読みたいならフランス語を勉強してください笑。