シュヴァンクマイエルの「サヴァイヴィング・ライフ」

先月、Wowowシュヴァンクマイエルの作品をいくつか放送していた。

アリス
 名前だけは知ってたけど見たこと無いなぁってことで、はじめに『アリス』、次に『サヴァイヴィング・ライフ 夢は第二の人生』をみた。
サヴァイヴィング・ライフ
夢と現実の区別がだんだんなくなっていく世界、とか独創的な映像表現 、とかいうのが売りらしい。

アリスの方はま、いいんじゃなかなという感想なんだけど、サヴァイヴィング・ライフのほうは微妙だった。
シュヴァンクマイエル作品愛好家に言わせれば「奥さんが死んじゃって、奥さんの作った小道具が出てこなくて寂しい」らしいが、そういうことじゃない。

この作品は精神分析をテーマにしているのだが、内容が教科書じみているんじゃないかと思った。(シュヴァンクマイエル自身自分はシュルレアリストだ、と言っているそう)

要するに、幼少期の抑圧された記憶が夢となって現れてきて、それを分析していくうちにすっかり忘れていた幼少期のことを思い出していくという話である。

主人公のエフジェンは、妙に気になる夢を見始める。どうしても気になるのでそれを精神科に言って相談するのだが…
その精神科にはフロイトユングの写真が掛けてあって、精神科医フロイトユングの理論を解説するたびに2人が殴りあったりする。
ここがなんだかシャフトのアニメで使われる「黒板ネタ」のような寒さを感じたのである。

クリエイターは黒板ネタに作品に手っ取り早く(薄っぺらな)「深さ」や「教養性」といったものを付け加えてくれることを期待し、鑑賞者はそのネタを知ってこんなこと知ってる自分マジ教養人みたいな優越感を持つ。(と思う)
共犯関係がそこにはある。

しかし、自分はそこに陳腐さを感じてしまった。 ファンタジー作品として描きたかったのならば、そこに教科書的な理論性を持ち込む必要はあったのだろうか?
なんだか「ヴィレッジヴァンガード」 好きを自認する自称「サブカル系」がドヤ顔で知り合いにアニマとは何か、とか解説しているところが目に浮かんでくる。
そしてそいつはこの作品を褒めるために絶対「シュールな世界観」とか「シュールな映像」とか「シュール」という言葉を必ず使う(はずだ)。

そもそも舞台は現代(チェコ )なのだが、現代にフロイト流のソファーに寝っ転がって夢の話をさせるような精神科医はいるのだろうか?
まぁ、重篤な精神の病を抱えているわけでもなければそういう処置も未だに行われているのかもしれないが…。

電気のスイッチなどの小道具類はやはり?シュヴァンクマイエル作品風の寂寥感といったものを醸し出しているのだが前編にわたって登場するモチーフ類(オレンジとか)も安易な「それっぽさ」演出に見えてしまう。

そういう点が多少あっても気にせず没入できる人はハマるかもしれないが、「アリス」よりも世界観に入り込みにくいというのはあると思う。
この作品が好きだ、、という人はおそらくものごとの悪い面よりも良い面を評価できる性格なのだろう。

一方のアリスの方はそういったこともなく、全体的に「雰囲気」にひたれる作品になっておりこれは良策だと思う。
現在小学校一年になった従姉妹の娘さんがハマっているらしいのだが、センスあるなぁと思う。

けっして「サヴァイヴィング・ライフ」のほうは主役がオッサンだから、「アリス」のほうは髪金幼女だから補正をかけているというわけではないです。
までもアリス役の「クリスティーナ・コホウトヴァー」は各所で可愛いと評判なので、そういう趣味の人も見てみるとよいでしょう。