ハートにファイア

WEBエンジニア的な人には、割と「テレビ見ない自慢」をする人が多かった。ネットができれば十分、ということだ。「若者のテレビ離れ」という言葉もきっとあるんだろうけど、僕も一時期はほとんど見ていなかった。けども、やっぱり面白い番組は面白いと思う。

「水曜どうでしょう」は全国区だけれども、
「1x8いこうよ!」とかも面白い。


  

テレビにはCMが付き物であり、なかにはあまり見ていて気分の良くないものがある。2ちゃんなんかだと「不快なCM」というのはそこそこ頻出の話題だ。

しかし、裏を返して言えば「不快なCM」についてわざわざ語りたくなるほどたいていのCMはそれほど不快じゃない。自分の場合も、もちろん録画番組でスキップ可能な場合はスキップするがリアルタイム視聴しているときもCMが始まったからといって起こってテレビを消したりはしない。

一方、インターネットの広告はとんでもなく不快だ。
一部広告だらけのジャンプページなどを設けてくるようなセコいサイトもあるけれども、ほとんどのネット広告はコンテンツと同時に表示されるし、テレビCMのように「本来見たいコンテンツ」を見られずに広告だけ見せられている状況というのは少ないにもかかわらず。

僕は特に神経質なのかもしれないが、Firefoxには定番のAdblock Edgeに加えてトラッキングやソーシャルボタンを無効化するためにDisconnect2、Cookieも必要なところだけ保存するようにCookieMonsterといろいろなアドオンを入れてある。
また、週に一回見るか見ないか程度のサイトでも広告がうっとおしければ何十分もかけてユーザースタイルシートを書いたりしている。その広告で犠牲になる時間は(テレビCMと違い)ほとんどないにもかかわらず、である。

この差というのは、結局のところ投入される予算や経験の差というのが大きいような気がする。テレビはオワコンだとかいいつつも、ひとつの広告作品がどれくらい広く流通可能かということを考えれば、この点でテレビは圧倒的優位にある。

加えて、「タレント」という制度は非常にうまく出来ている。これが機能し続けるかぎり、テレビを超える広告メディアは現れないだろう。
テレビドラマなかはいつもいつも同じ顔ぶれが出ているなぁと思わせるけれども、これは人材不足ではない。ある俳優をある役に起用するということは、単にその人が演技がうまいとかそういう話ではなく過去にその人が演じてきたキャラクターの面影を宿らせることができる。

「半沢直樹」の後に堺雅人をCMに起用したソフトバンクと「キリンのどごし生」はまぁ半沢直樹のイメージを利用しようとしたのは間違いないだろう。 ソフトバンクでは割りとそのままのイメージを利用しようとしていて、「キリンのどごし生」はあの堅物そうな半沢直樹がこんなに笑顔になれる酒というイメージをつくりあげようとしたんじゃないかと思う。

タレントについての話はこれでとどめるが、もっと興味があるならこの本など。

記号の知/メディアの知―日常生活批判のためのレッスン
石田 英敬
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なんたらキンとかたれぞうみたいなYoutuberが作ってる開封動画とか飲食物をたべて感想を言うだけの動画は広告として今までにない感じがするけれども、あんまりスケールしないだろうな、と思う。

テレビの時代の終わりは、大衆消費社会の終わりなのかもしれない。