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ブクログで振り返る四年間

今日(2014/5/9)、自分の在籍する大学院の研究室紹介があった。
去年は受験生の立場として参加していたが、今回はなんと説明側。院の入学式よりも「自分はもう大学生じゃないんだ…」というのが実感できたような気がする。
学部時代と同じ研究室に、所属していた全員がそのままストレートであがったので、まったく意識の切り替えができなかったんだけど、そろそろ意識改革をしていくころなんじゃあないだろうか。

というわけで、大学生活をブクログから振り返ってみた。授業の関係で読んだ本とか、イワユル「実学系」の本は除く。
 
まず、最初の頃は特にジャンルを考えずブックオフで買いあさった新書本を結構読んでいたようだ。(最近は新書なんか全く買わない)
そして、独・仏文学を読み始めている。(最初はかっこよかったから、なんじゃないか)
一番はじめに読んだのは、レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』で、それがきっかけで割とフランス系に興味が絞られている気がする。
その流れで、バタイユの『目玉の話』、つまり過去『眼球譚』の名で知られてきたものの新訳を手にとってしまったのである。
話はそれるけど、『眼球譚』っていうタイトルは「タイトルだけでも格調高くしちゃいましょう!」みたいな意図が感じられるし、『目玉の話』のほうがずっといいと思いますね。
また、このころはフロイトにも結構興味があったようだ。

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そして、2010年の終わり頃にマクルーハンの『メディア論』を読んでいる。
年度末頃には角川つばさ文庫というところから出ているいかにも女児向けな感じの『不思議の国のアリス』シリーズを読んだようだ。

大学二年に入ると、オスカー・ワイルドの邦訳を読み始める。『ドリアン・グレイの肖像』が一番よかった。
夏頃に谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』をブックオフで買ったことで、それまでは日本文学なんて高校の課題で読まされた『こころ』くらいしか読んでなかったのが、多少触れ始めるようになる。(といっても、谷崎潤一郎三島由紀夫泉鏡花、しか…)
その手始めとして、竹取物語とか古事記を読んでいる。(なんでそんな心境になったのか…)
夏休みに『風姿花伝』を読んだときはべたべた付箋をはりまくっていたような気がする。当時はA6ノートに読書ノートをとるか、付箋を貼っていた。
また、7月に河出文庫の『ベンヤミン・アンソロジー』を読んでいるけど、当時はあんまり理解していなかったと思う。

冬学期に入ると、大きなターニングポイントが訪れる。あの『目玉の話』を書いたバタイユの『呪われた部分 有用性の限界』を読んだのだ。
ちくま文庫は高い、ボッタクリなんじゃないか?

 ここから、バタイユにはまっていくことになる。
その直後くらいにニーチェの『善悪の彼岸』と『道徳の系譜』を読んだが、当時はまだニーチェバタイユの関連性を知らなかった。
11月、谷崎潤一郎の『痴人の愛』。これはエンターテイメントとして非常にはまった。「マンドリン部」と聞けば、ああこいつは女の子を裸にして海岸を歩かせているんだな、とか大井町、という地名を聞くだけでああ、ここで…みたいなことを思っていた。当時ユーロビートにはまっていて、ユーロビートを聞きながら読んでいたため、80年代風のディスコで踊るナオミの姿を想像しながら読んでいたのを思い出す。(痴人の愛の舞台は1920年代)
谷崎潤一郎はこれ以外だと短編の『秘密』はよかったけど、それ以外はあんまり心に響かなかった。
関西移住前の作品が「合う」んじゃないかな~と予想しているけど
検証はしていない

年末に読んだ中で特筆すべきのは『青色本』か。前期ウィトゲンシュタインは高校倫理の資料集でしかしらないし興味もないけど、中期・後期は興味ぶかい。

年が明けてすぐ、バタイユの『エロティシズムの歴史』を読んでいる。
そして2月、ふたたびターニングポイントが。『政治の美学』を読んだ。もう一回ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』とか『歴史哲学テーゼ』を読みなおしたりして、割と政治の審美化というのは個人的に大きなテーマになっていると思う。
東京大学出版会フェアで買ったので、
2割引の4000円。

年度末の3月、ここで『アンチ・オイディプス』を読んでいる。院の面接で「最近読んだ本の中で一番印象に残ったのはなんですか?」という質問に対して「『アンチ・オイディプス』です」と答えたんだが、全然最近ではないという笑。
河出文庫の装丁は割と好きなので
ちくま文庫と違って多少高くても許しちゃう

大学三年の夏学期は、三島由紀夫泉鏡花の小説を読んでいたみたいだけど、それに加えて『パサージュ論』を読み始めている。結構厚めの文庫5冊ということで、金銭的にも全部集めるのは時間がかかって全部読み終えるのは何ヶ月かたってから。
冬学期には『千のプラトー』を読んでいるが、『アンチ・オイディプス』のときのような疾走感はなかったかなー。
2月に『免疫・「自己」と「非自己」の科学』というのを読んでいる。免疫への興味はこのころから目覚めたのか。

そしていよいよ大学四年。
この年は、カール・シュミットにハマった。ベンヤミン著作の解説を読んでいたりすると、カール・シュミットへのリンクが結構はられており、前々から興味は持っていた。
なぜこのころに読み始めたのかというと、大学の書籍部でシュミットの著作の邦訳を多く出している「未来社」のフェアをやっているのに出会い、そろそろ読むか~という気分にさせられたのである。
しかし、四年になって研究室に出入りするようになるとどうしても研究に関連するジャンルの本を読みがちになり、それほど趣味の読書ははかどらなかった年であった。まあ、生物・医学系の本にも手を出し始めたというのもあるが。
 少ない中で印象に残っているのがブックオフで売られていたバタイユの『アセファル』の邦訳で、バタイユ自身の筆でニーチェについて書かれているのを読みバタイユニーチェの思想の関連性を重視するようになれた。思想系の本は、あとから「あれはああいうことだったのか!」と気付かされることが多く、それが楽しみのひとつである。

 大学四年の最後を締めくくるのが、コジェーヴの『ヘーゲル読解入門 「精神現象学」を読む』である。(3/27に読み終えている。)
バタイユが実際に受講して、もっとも大きな影響を受けたと言われるコジェーヴ。その思想にふれることはバタイユを読む上でさけて通れないんじゃないか、とは思っていたんだけど新品価格5500円(しかも消費税があがったので、実質6000円)はさすがにきつい。中古でもなかなか気軽にかえる値段じゃなかったぞ。
6000円あれば札幌まで往復の航空券が買える時代ですよ?

で、 そんな本ばっかり読んで何か得るものはありましたか?という問。
僕の考えでは、哲学というのは「生きづらさ」をかかえてしまった人間のものであって、ほんとなら哲学なんかとは無縁の人生をおくれたほうがよっぽど幸福だと思う。

しかしそれでも得た結論としては、
人間はたとえどんな名声を残そうが、一億年後まで痕跡が残ることなんてまあないでしょう。生物がどんな一所懸命子孫を残そうが、地球がいつか太陽に飲み込まれるんだからそれまで。
はっきり言って生物に生きる意味なんてものはないし、すべてはたわむれに過ぎない。
でも、だからといってそこで「じゃーなんも意味無いじゃん、何やったって無駄なんだから何もしなくていいや」とかんがえるんじゃなくて、「だったらせめて自分で納得できることをしよう」と思えるかどうかが重要なんじゃないでしょうか。
というもの。

要するに、こういうことですね。
来月イタリアにいってきます