読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ブログとSNSについて:本を書いてみたいということについて

雑記/思考の軌跡
なんと、今年のポスト数がすでに昨年の総ポスト数をこえてしまった。リアルが充実してないから独りでブログを書く時間が増えたのか、それともリアルが充実しているから書くことが増えたのか。特にこの8月は2日に1件以上書いているという。(それもこれで終わりだが)
まぁ、それはともかく僕は結構ブログというメディアを気に入っている。
一方で、あんまりSNSというものは好きではない。一応うちの研究室はSNSでの情報拡散なんかも主要な研究テーマになっているのだが。

ちなみに過去のSNS使用状況をまとめてみると…

2chNOKIASymbianスマートフォンにはまっていたころと自作カスタムIEMスレにはよく書き込んでいた。NOKIAのほうはすでに自分がコミットしていないし、自作カスタムのほうはコミュニティ自体が完全にTwitterに移行してしまいましたね。

mixi: やったことなし。

Twitter:やってるし、まぁおかげで知り合いも増えたんだけれども、アカウントとリアルでの個人が結びついているので言えないことも多く息苦しい。また、文字数制限が厳しいので、まともな文章は書けない。

Facebook:アカウントは作ったけど、まったく意義が感じられなかったしむしろ見ててイライラすることが多いので消した。

Google+AndroidEvernoteβテストに参加するために使ってるようなもの。SNSとして活用したことはない。まーでも、興味ごとにことなる「サークル」があるってシステムはなかなか良い気がする。ユーザー数が少なすぎてどうにもなりそうにないけども。

・その他:ブログをはじめる前、代わりにTumblrを試したことがあるけど全く続かず。前述のようにSNSなどを研究している人たちが身近にいるので他にも名前を知っている奴は結構あるけれども、そんなのやってどうするの?っていうのばかり。
という感じ。
まぁ2ちゃんは毛色が違うので除外するが、SNS、特にFacebookはくだらない表層的なお友達ごっこを延々とするためのものでしかないかな、と思う。
文化の発達にはコミュニケーションは必要だけれども、個人個人が孤独になる時間というのも不可欠。各々が孤独な時間で自らを高め、その状態で相互作用を行うことで洗練性を高めていくものであって、ずっと他人と交流してても大衆に流されるだけで何もできなくなってしまうと思う。
SNSはユーザーから孤独な時間を奪って常に「つながってる」状態にしてしまうが、そうすると結局個人個人の個性っていうものがどんどん失われていってしまう。


このブログには残念ながらコメントがつくことも滅多に無いし、何を書いても穴に向かって叫んでいるのと同じようなものだ。とはいえ事実として誰かに見てもらってるかどうかは実はそんなに関係なく、ただ「もしかしたら見られているかもしれない」という緊張感の中で自分の考えを精製し、文章にすることに意味を見出しているといってよいだろう。孤独のブログである。

ブログというメディアは、発信者に孤独を与えてくれるという点でよいメディアだ。



しかし、それとは別に本を出してみたいという欲求が前からある。
(本と言っても、いわゆる書籍というよりは雑誌のようなイメージ。)
ブログは独立した一つ一つの記事を放り込んでおく箱のようなもので、ひとつの世界を構築できるものではない。ハイパーリンクで接続できでるじゃん、というのとは違う。
(音楽をやっている人でも、曲を作りたいというのとは別にアルバムを作ってみたいということを思う人がいるかもしれない。)
ブログはばらばらにmp3ファイルが入っている音楽プレーヤーで、本はあるひと通りの配列をとるコンサートのようなもの。
余談だけど、曲のスキップが面倒なレコード時代のほうがアルバム構成がきちんと考えられてたと聞く。
プログレッシブ・ロックのアルバムは世界観が重要だという
QUEENプログレバンドとはいえないけど、ボヘミアン・ラプソディはプログレだよね


また、ブログに限らずモダンなWEBページはHTMLとCSSの組み合わせによって文書の論理と表現が分離されている。おかげでいちいち同じコードをコピペする必要なくどんな記事でも画一的な見た目で表示してくれる。
しかし、実際には論理と表現というのもお互い侵食しあうものである。例えば、哲学書がスーパーの安売りを知らせるポップ体のフォントで書かれていたらやっぱり変だと思うだろう。
ひとつひとつの記事ごとにあるべき演出=表現をするにはWEBは向いていない。読者が使ってる端末がどんな種類で、画面の大きさと解像度かも、どんなフォントが入っていてどんなフォントレンダリングエンジンになっているかもわからない。その差異を吸収してしまうのがWEB技術なのであるから。
オペラのようにひとつひとつの記事が役割を演じるような作品を作るには誰がどんな環境で読もうが見た目の変わることのない本のほうが楽しいと思う。

WEBからは統合芸術は生まれないのではないだろうか

この点において、WEBマガジンというものが紙の雑誌の置き換えにはならないだろう。WEBの世界のいいところはスペースに実質的な限りがない(ついこないだHDD買ったけど、2TBで一万円もしなかった!)から誰もが好きなように情報発信でき、有象無象のコンテンツが溢れかえっているというところにあると思う。限られた紙面にどんな情報を配置して一冊の「閉じた世界」をつくるかが勝負の紙雑誌とは相容れないものがあるのではないだろうか。


そんなわけで、いつかは個人誌を出してみたい。