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ペガサス幻想

今年に入ってすでに投稿件数は11件、これも入れたら12件。3日にひと記事以上のペースで更新していることになる。
その割には更新を怠っているような気がして、特に書くこともないのに何度となく新規投稿画面を開いてもにゃもにゃしてたりする日が多かったような気がする。一日あけただけでもう一週間さぼってしまったのではないかとすら思ってしまうのだ。
なんというかもう何か書かないといけないという強迫観念にとりつかれてしまっているのかもしれない。

その割に自分の ブログを見なおしてみると、まだ一ヶ月もたってないような投稿ですら何が書いてあるかわからないことがある。タイトルが内容の要約になっているようなのはいいんだけれども、いまいち関連性のよくわからないタイトルがついているものについては見ないとわからない。



自分の書いたものなのに「いまいち関連性のよくわからない」とはどういうわけかというと、そういうのはだいたい連想ゲームみたいな感じで書籍のタイトルやら一節を使っていることが多い。たとえば最近で言うと「埼玉の味といえば…?」は「ラカン」→「五百羅漢」→「福蔵のCM」(テレ玉ローカルCM」)であるし、「はじらいブレイク」は「ペンフィールドホムンクルス」→「ホムンクルス」(一般的な意味で)→「ホムンクルス」(成人向け漫画家)→「はじらいブレイク」(前項のホムンクルスの単行本タイトル)となっている。福蔵のほうは直近のものなので何を書いたか覚えていたけれども、ホムンクルスのほうはタイトルだけでは思い出せなかった。


この文章もそうだけれども、はじめに「何か他人に読ませたいこと」があって書き始めるということはそんなにないような気がする。パソコンがどーした、携帯がどーした系の現世利益系記事がそれなりにあるので量的にはわからないけれども、そういう記事は書くことが書く前から決まりきっているのであんまり執筆時間もかからず印象も残りにくい。
一方、現在「思考の軌跡」や「雑記」タグがついているものは相当数「着地点」が定まらないまま書き始めたものが多い。なので当然途中でこれからどうしようか詰まってしまうことも多い。一度思いついた着地点がうまくいかずに破棄することもある。(これもそうだった)なので、はじめの一文字目を入力してから公開するまで一週間近くかかるときもある。

だけども実際書き始めるまでは「なんとなく」しか考えてなかった問題について、数時間とはいえ腰を据えて向き合うことで見えてくるものがある、という経験ができた。ということもあり、アウトプットをすることの重要性に気づく。誰かに見てもらうかどうかは別にして、「読める形」で自分の頭のなかのアイデアを書こうとすると散らかった頭のなかの断片を星座のように配置していくこと、これは書くことでのみ可能になると思う。

でも結局、タイトルは思い浮かばないんですね。