読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ロリコン右派問題

森馨という人の球体関節人形が好きなので、氏の作品が展示されているという「みうらじろうギャラリー」の「少女地獄」展に行ってきた。
http://jiromiuragallery.com/exhibition/past/20131119Shojojigoku.html
少女地獄というのは夢野久作の小説ということは知っていたが、読んだことはない。
説明書きには

聖性の中に秘めたエロス、儚い存在としての蠱惑する「少女」を8名の作家が、物語性を以って表現するグループ展です。
とある。

少女をテーマにしたものという点としては共通だが、明らかにコミックL○なんかとは毛色が異なる(でしょ?)。
コミックL○読者が少女を好むのは、特に理由はなく単に下半身が反応するからだろう。(理由はともかく)一方、こういう系はシュルレアリストが「femme-enfant」とよんで愛好したように、物語性を重視している。本当は下半身が反応しているからだとしても、それを物語で隠ぺいする意図があれば。
(こういう系のサブカル系な人たちは、おそらく自分たちがシュルレアリスムからのブランチになっていると考えているだろう。)
これを区別するために、前者をロリコン左派、後者をロリコン右派と呼びたい。
「右派」というのはナチス・ドイツが「神話」の力で真正性を獲得してったことのアナロジーとして考えてもらえばわかりやすく、左派は単なるその逆という。


ロリコン右派的な少女像は、規範的である。
さきほどの説明文もまさしくそうであるし、シュルレアリストも「女性は男性よりも理性的でない」存在であるとして、霊感の源泉とする。(理性的でないが褒め言葉として使われているのに注意)
これは単純明快な男尊女卑思想とは異なり、神話(ミューズ神話とでもいえばよいのか)のもとで「そのような」女性性は神格化され賛美される一方で、結局男性性が規範を策定する主体であり女性性はその規範のもとで評価される客体に過ぎないというナイーブな性差別になっている。(注1

シュルレアリストにもいろいろいるだろうが、メジャーな方々(アンドレ・ブルトンのような)はそういうナイーブな性差別をしていたように見える。

シュルレアリスムの影響源であるフロイト理論も、当時のヨーロッパ社会の構造を普遍的な社会構造として考えていたことは有名だが、これもひとつの「神話」といえるだろうか。

 かつてシュルレアリストが芸術における「前衛」であったころは、当時の政治的な「前衛」である共産主義に接近していたし、ブルトンも宿敵バタイユと一緒に「コントルアタック」なる反ファシスト運動をしていたこともある。
しかし時代は流れ、シュルレアリスムマルクス主義も「前衛」ではなくなった。
現代から見ると、(もともとの)シュルレアリスムマルクス主義もむしろ保守的なものになっているのである。(これってナイーブな進歩史観にとらわれているかなあ?)

一応自分は前衛的知識人として生きていきたいなぁ、と思っているので、政治的にこういうジャンルの展示会なんかにはいかないほうがいいのかな、と悩んでいる次第である。


注1)ナイーブは繊細とかそういうよさげな意味じゃなくて、物を知らない、といったようなそういう意味。ナイーブな性差別とは、当人は思慮が足りていないので気づいていないが差別になっているというような意味にとってほしい。