地に住む人々は、わざわいだ

人類の祖先が直立二足歩行を始めたのはおよそ700万年くらい前らしい。
それからいったい何世代の命のリレーが行われたのかはわからないが、その後人類は文化を獲得し、足の裏以外を地面につけることを避けるようになった。
足の裏以外を地面につけること、それにはネガティブイメージがつきまとっている。膝を地面につくのは敗北者であり、地面に座り込むのは育ちの悪さの証。そして地面に手や頭をつけるのは相手への屈服を意味する。

ハンガリーでもベルセルクは売ってました

自分の人生を振り返ってみると、地面に膝・手・額をつけるような経験はほとんどない。というより、そんな事態になりかねない勝負から逃げてきたといってもよい。失敗することを考えると、消極的になってしまう。

しかし世の中には自分から積極的に地に這う人々がいる。そう、この人達。


これは冬っぽいけど
生身で触れることすらためらってしまうような焼けつくような地面にへばりつき、蔑まれるような視線をものともせず「パンツを撮りたい」という純粋な欲望のままカメラを覗きこむ姿は求道者のようである。

先日本物を間近で見たんだけれども、無言でこんなこと(=パンツの撮影)をするとそのまま準備会にしょっぴかれるからか必死でコミュニケーションをとりつつ前線を押し上げていく(=カメラをパンツに近づけていく)駆け引きがあり、パンツを撮るのも高度なせめぎあいなんだなぁということを知った。
間違いなくもとからコミュニケーションを得意にしていたわけではないだろうと思われるので、あのおじさんのコミュニケーション能力はパンツを撮りたいがために磨いたコミュニケーション能力なんじゃないかと思う。

恥も外聞も捨てて、目的(=パンツの撮影)のために一心不乱に努力している姿を見て、自分は何をしているのだろうかと考えてしまった。周りの目(とそれを内面化したセルフイメージ)ばかりを気にして何もできなくなっているのではないだろうか。

就職活動のの鉄板質問に「挫折した経験と、それをどう乗り越えたか」というのがあるけれども、確かに失敗(とそれにともなう恥辱)は人を大きくしてくれるものなのだろう。
きっと彼らカメコたちも、あの視線(「うわぁあいつパンツ撮るためにあんなに必死になっちゃってw」)のことを思えば、これしきのこと!というような感じで、日常的に新しい挑戦を繰り返すことができているのではないだろうか。

自分も一回地面にはりついてパンツを撮ってみたら、一回り成長できるかもしれない。