島風乗る人おしまかぜ

金土で伊勢に行ってきた。
東京から名古屋までは新幹線、名古屋から伊勢(伊勢市or宇治山田)までは近鉄なのだが、往路では今話題の特急しまかぜを利用、しかも個室。

のったのは和風の方。ボタンを押せば乗務員が飛んでくるのだ。

  伊勢といえば当然、伊勢神宮に行ってきたわけである。賽銭も合計30円ほど入れてしまったので、神社本庁に資金提供してしまったということになる。

近くには皇學館大學といういかにもな名前の大学がある。

伊勢神宮自体はさすが国家権力と結びついているだけあり、広大な敷地に豊かな木々と澄んだ川が流れておりとても空気が綺麗だった。とはいえ、公園としては良いにしても聖なるものを感じるかといえば、ちょっと微妙。

真新しいせんぐう館などを見るに、やはりここは宗教的な意味よりも政治的な意味のほうが強い場所なのだということを感じた。
いわゆる名のある神社のなかでは諏訪大社 上社前宮が一番良かったと思う。

そもそもなぜ奈良からはるばる三重にやってきたのだろうか。古代日本史の専門であるわけでもなんでもないので空想だけれども、当時大和政権を西側から脅かす存在でもいたのではないだろうか?だから一旦東に逃げて、最終的に伊勢にやってきたと。

そんな不思議な伊勢神宮であるけれども、やはり式年遷宮直後でもあり御利益を求めてたくさんの人が来ていた。なんでも、荒御魂を祀っている神社のほうが現実的な願いを叶えるのに向いているとか何とか。

あっちはとても寒く、手水も氷水のよう。


伊勢神宮の祭神は皇祖神、つまりもともとどこかの豪族の祖霊というだけあってまだ人間っぽいのかもしれないけれども、それでも死人と生きている人間では求めるもの・好むものが違うだろうし生きている人間がもらってうれしいものを捧げたところで喜ぶだろうか。
これが山や岩の精霊みたいなのがベースになっているものだったらなおさらである。

「この世には人智を超えた存在がいる」ということは否定しないけれども、神頼みほど時間の無駄なことはないと思う。人智を超えた存在が、人が悩むようなことを悩んで人の喜ぶことを喜ぶと考えるのは浅はかではないだろうか。

逆光をもっと生かせるようになりたいですね。

最後にひとつ。日本初のテレビ付き電車は京阪だと思ってたんだけど、それは近鉄だという人がいた。どっちが正しいんだろうか。