引越し考

このたび7度目の引越しをすることになった。まだ21年は生きていないので、3年に一度以上のペースで引越しをしていることになる。
さすがにベートーベンには及ばないものの、このままのペースで生きていけば60までに20回引越しすることになる。引越し経験回数が正規分布になっているとは思えないが、引越し回数で偏差値を無理やり出したら70近くはいけるのではないだろうか。


すでに6回引越しをしたとはいえ、うち2回は小学校に入る前であったため全て親まかせであり自分で参加したのは4回だけである。しかし2回めと3回目が大きくあいているためここ最近の4回の引越しは10年間に集中している。おかげで引越しについては随分と慣れた。でも、引越しの役立つ小技なんかについて書くつもりは全くない。


特に地方に住んでいる方は引越しをしたことがない、上京するときに初めてしたなどという人が多いと思うが、やはり気軽に引越しができるというのが大都市の強みだと思う、(引越し回数は多いものの住んだことがあるのは東京圏、京阪神圏のみ)
確かに毎月家賃を払い続けても何も残らない賃貸より、不動産が残る持ち家のほうが安心感があるだろう。しかし賃貸には住んでみて気に入らなかったりもっといい家が見つかったりしたら簡単に移ることができる。つまり、今流行のノマドな生き方ができるわけだ。

ずっと同じ所に住んでいると、日々の生活における刺激が足りなくなってしまうだろう。田舎の場合はさらに出かける場所もイオンしかないので毎日の生活は完全に箱庭の中で営まれることになる。ますます生活の単調さは増していく。

実際は東京区部にすんでいてもいつもの通学路・通勤路を往復して毎日同じ所に通って、買い物もいつも決まったところで…という生活に堕ちがちではあるし、最近は都市部にも名前だけはいっちょまえでも中身は田舎のイオンとそう変わらない巨大商業施設ができて(例えば渋谷ヒカリエダイバーシティ東京…)、いたるところにドン・キホーテもあって都市の魅力というものそのものが薄れつつ有る。
が、ふといつもと違うところで曲がってみたりすると知らなかった世界に踏み込める可能性が残されている点でやはり都市のほうがいい。
刺激的な生活というと、田舎から東京にやってきた大学生が毎日渋谷で遊び歩く生活のようなものを思い浮かべてしまうかもしれないが、そうではない。いつもと違う帰り方をしたときに、小さくても何か発見がある程度でいいのである。
つまり一番たちが悪いのが辺境の田舎ではなく、都市部の周辺にある新興住宅地ということだ。

で、話を戻すと…
単調な生活をしていると、今までと同じ事をしていればそれでいいので人間の思考というものは硬直的になる。言葉を変えれば、ドゥルーズ的な意味でパラノイア化してしまう。
現代社会ではわざわざ努力しないと、人間的(⇔機械的)に生きるのは難しい。なんだかんだ機械的に生きるのは楽だから流されてしまうのである。するといつの間にかさまざまな三角形に囚われた生き方しかできなくなってしまう。

この状況に楔を打つための一つの手段が引越しであると思う。
引越しをすることで一度惰性の流れをストップさせることができる。日本では住所がないと働くことができないと言われるが、それはつまりどこかに定住するという行為が資本主義機構の求めるものであって、人々が同じ所にとどまることが資本主義機械の強化につながったりしているのではないだろうか。
つまり引越しをすることは、まさしく横断線をひくこと、分裂症であること、わかりやすく言えば違う仕方で考えることのきっかけになりうるのである。