新しい科学のつくりかた(笑)

「複雑系」とか「システム論」とかいう分野が、どうも胡散臭く感じるのはどうしてだろうか。
それはやはり、そういうジャンルの笠を着た胡散臭い連中がうようよいるからじゃないだろうか。

今まで読んだ本の中で、これは本気で言ってるのか?と思ったのは河本英夫というヒトの書いた「オートポイエーシス」。

内容を極限まで簡略化していうと、こういうことになる。

第一世代のシステム論である動的平衡系の方程式は時間を含まないf(x, y, z, … a, b, c)という形で表され、第二世代のシステム論である動的非平衡システムは、f(x, y, z, t, □, f, f^2, …)という自己言及(fとか)やシステムが作動しつつ新たに獲得する変数□を含む。いっぽう、第三世代の システム論であるオートポイエーシスの方程式はf(□, □, □…)とすべてシステムが作動しながら獲得する変数で出来ていて、予め決まっているものではない。

 これって、オートポイエーシスってものについては何も語ることができない、ということということじゃないか。
本文では「オートポイエーシスは新しい」「オートポイエーシスはいろいろなところに応用可能」みたいなことが書いてあるんだけれども、それは当たり前な気がする。
内容がないおかげで、それっぽくこじつけることは簡単にできてしまう。何か語っているようで何も語っていないんだから、矛盾もおきない。

結局のところ、ただ<新しい>ことを言いたいだけで、自己完結・自己満足しているだけで終わってしまっているような気がする。
どこにも噛み合っていない歯車が必死で回転しているような感じだ。

そして今日、オムニバス系の授業で<複雑系>系の方面で有名な池上高志というヒトの講義があった。これもなんだかオカシイよ、と思った。

途中聞いてない部分があったんだけれども、言っていたことをいくつか抜き出してみると…

1.生きているかが何かという問題は、既存の生物学ではわからない。むしろもっとばっと分かるようなものだと思う。(啓示みたいなことだろうか。)

 

2.現実世界を見ても結局バイアスがかかっている。自分の作ったモデルのほうが裏切らない

 

3.そういった(どういったものかは略)ことから、新しい数学とか新しい生物学が生まれてくることを期待している


などなど。

1番が個人的には一番気に食わない。生物学や医学に携わっている人々を愚弄しているんじゃないだろうか。まぁ人工生命みたいな研究が悪いとはいわないけれども、その低く見ている分子生物学や医学が今まで数多くの人々の健康に貢献して、幸福に生きられる時間を伸ばしてきた一方で人工生命研究は何か「それ自身に携わっていない人々」の「幸福」に貢献することができただろうか。それらの成果を勝手に参照して勝手に解釈して自己満足にひたっているんだから、生物学を研究している人達に対して敬意を持ってほしいものだ。

2番は言うまでもないというか、自分で作って操作できるモデルなんだからうまくいくようにできるのは当たり前。モデルを作って満足して現実を見ないというのは何か意味があるのだろうか。

3番で使われている「新しい」とはなんなのか。新しい数学がどのようなものかはまだ完成していない新しいものなんだとして、それは一体何を可能にするものなのか。そういうことを考えずに<新しい>という言葉を使っているように聞こえる。
これにかぎらず、定義を定めていない言葉を並べて「はぁ、なんだかわからないけどすごそうだ」みたいに思わせる才能はあるんじゃないかと思うけども、結局<アタラシイ>ことを考えてる自分スゴイ、または自分を分かってくれるお前らスゴイ、とサークルの中で自分に酔ってるだけなんじゃないだろうか。
そして、一番まずいのが大学教授とかになる人達って基本的には「真面目な」人たちがおおいので、そういうのにコロッとだまされてしまっているんじゃないかと感じる。
「そういう」人々がお互い論文を引用しあったり、「あの人はすごい」と評価しあうことで、門外漢からすればよくわからないけど天才肌ですごいヒトなんだろうなぁ、と思い込まされてしまう。
そうすると、いつの間にか結構なポストがそういうヒトたちに与えられたりしてしまうのだ。

地球上の生命以外の構造をもつ生命というのもありえたかもしれないのだから、地球上の生命をみるだけでは生命の本質に迫れない、という主張には一理がある。
しかし、だからといって我々に与えられた唯一の生命の実例である地球上の生命を見ずして「自分、個別の事象にはそんな興味ないんで。もっと本質的?というか概念的?な方にしか興味ないんです」というのは滑稽というしかない。(と僕は思う)
理念だけはご立派な学生ベンチャーみたいな感じだ。

この池上高志というヒトは、僕が大嫌いな「アート」という言葉を修飾語無しで使う人種だったので※負のバイアスがかかっているのは否めないが、「どうして複雑系科学などはプロパーな科学になりえないんだろうか?」と言い始めた時は、お前みたいなのがいるからだよ、と思った。



※マーシャル・アーツとかそういうふうに「アート」を使うのはいいんだけど、「アート」という言葉を裸で連呼する奴は基本的に信用出来ない。
「これってなんの意味があるんですか?」-「これはアートなんですよ。」こう言われたら、(自分はアートの分からない完成のない人間だと思われたくない)ということで「すごいですね!」と言わざるを得ない状況に陥れられてしまう。裸の王様ってやつですね。
シュミット、というかプルードンの言葉を改変してみれば、「アートを口にする者は、欺こうとするものである。」