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未来世紀ブラジル

感想/映画・ドラマ
このブログのタイトルの元ネタは、「未来世紀ブラジル」という映画である。
この作品は、いわゆるディストピアものの一種とされているもので、有名なジョージ・オーウェルの1984年と結構話も似ている。(両方共恋愛が端緒となって体制に従順ではいられなくなり、その結果残念な結末が待っている)

で、その1984年の陰に隠れていて一般的な認知度では多少劣る未来世紀ブラジルであるが、正直1984年なんかより圧倒的にいい作品だ。
未来世紀ブラジルはカルト映画扱いされているが、もっと広い層に見て欲しい作品である。
なぜそう考えるかというと、同じディストピアものでも未来世紀ブラジルの方が現代社会と似ている点が多いからである。

1984年はソ連恐怖症の作品で、はっきりいって今の時代それほど思想的価値は無い気がする。テレスクリーンだとか、2分間憎悪だとかが有名だが、我々の生きる世界にはビッグブラザーのようなわかりやすい存在はいないし、あんなに簡単に国民全体が洗脳されるなんていうのも現実的ではない。

一方、未来世紀ブラジルの象徴は「ダクト」である。なんのためのダクトなのだかわからないが、とにかくたくさんのダクトが出てくる。下水道や暖房はもちろん、情報もダクトを使って運ばれてくる。そのダクトはどこにつながっているのかわからないし、どうやって作動しているのかもわからない。分からないづくめだけれども、とりあえず欲しいものは出てくるのだから細かいことは考えずに皆が使っている。仮に壊れても自力で直すことはできないので専門の修理屋がやってきて勝手に直していくだけである。

つい先日自分は引越しをし、ネットや電話関連のケーブルをいろいろつないでいて思ったのだがまさしくこいつらはあの「ダクト」と同じなのである。
「ネットワーク概論」とかの授業でIPだとかTCPだとか一応勉強したのだが、それでわかったことはほんの一部だ。実際にインターネットがどんな仕組みになっているのか、実感がわかない。
今この記事を書いていても、このデータが保存されているのはどこなのかなんてわからない。しかしそんなことはわからなくても結果は得られてしまう。

同じ事は社会の側からもいえてしまう。googleにとってこの文章を書いているのが誰かなんて知ったことではないし、内容もどうでもいいだろう。読む側も誰であろうがまったくおかまいなしである。ただ単にユーザーは属性に還元されて、それに伴った広告が自動で選ばれていくだけである。
システムにとっては、人間というのは「ダクト」の繋がる前にすぎない。出口の外にどんな人間がいるかなんていうのはどうだっていいことなのである。


と、引越しの感想からよくわからない方向にいってしまったが、すごく面白い映画なのでぜひ見て欲しい。
この映画の中に登場している「もの」のプロダクトデザインも素晴らしい。