神保町の思い出

今週は国立情報学研究所(以下NII)でとあるイベントに参加している。
NIIは九段下の隣?の一橋という陸の孤島みたいなところにあるわけだが、電車で行くとすれば御茶ノ水か神田から歩くというのがベストな選択となる。まぁ自転車で行くのが一番だけど。どの行き方をとるにせよ、神保町の書店街を通っていくことになる。

この街は、受験生の頃の記憶を呼び覚ます。

高校3年生の4月から12月まで、Z会東大マスターコース御茶ノ水校という塾に通っていた。(新宿のSEGにも同じ期間)
12月までというのは冬期講習とか直前講習は行かなかったということである。僕が「このままではやばいのではないか?」と気づいて本格的な受験生(一日八時間くらい勉強する)になったのは秋の東大実戦を受験してからだったのだが、本格的に自習するようになると塾に通って周りのスピードに合わせて授業を聞いているのがかったるくなってくる。周りよりスタートが遅れた分エネルギーが残っていて、精神を加速できたということである。
実際の成績はともかく化学が一番やばいと感じた。
でも、ここでちゃんと危機感を持つことができたのがよかった。
裏を返せば、世間では受験の天王山とか言われている夏休みはろくな生活を送っていなかったということになる。
Z会御茶ノ水の自習室といえば部外者がこっそり使用していることでも有名でかなり人気の高いものになる。
夏休みが始まる前は「夏期講習の授業を聞いたら授業と同じ時間(4時間)自習室で勉強しようと高い意識を持っていたわけだが、初日から早速挫折することとなった。

授業が午前中だったので、一旦外に出て昼食を食べ鼻息荒く自習室に乗り込んだわけだが…席はいっぱいな上に若い受験生たちの発する熱気がこもっていた。もうその場でUターンしてZ会を後にした…。
それからはもう授業は受けるだけ、勉強は家で宿題をこなすのみという感じに。毎日のように古書店街をふらふらしていた。なんでかはわからないが、古い本の詰まった図書館や古本屋って夏が似合う気がする。

ちなみにいうと、そのころは荒川区でも日暮里エリアではなく南千住エリアに住んでいた。(高校は西日暮里にあった)
帰りは秋葉原を通って帰るわけだけれども、当時の秋葉原は夜9時すぎともなれば開いているところもなく人影もほとんどなかった。ほんの5年でも町は大きく変わってしまうものだな、と思わせる。
 秋が深まりそろそろ冬という頃、三月兎の自販機が「東方缶々娘」※シリーズで埋まっていた。三月兎を知ってる人はわかると思うが、自作通りの支店のほう。
夜の自作通りなんて本当に人っ子一人いない状況だったんだけど、なんとなく一人そこで飲み物を飲んで休んでいると癒やされた。大学生になって夜自転車でうろつくようになったのも、この体験があったからなのかもしれない。新宿のような「眠らない街」の反対(「眠る街」とでもいえばいいのか?)のなかにいると、不思議と暖かさを感じるのである。
※ミルクティーがとんでもなく甘かったのを覚えている。(ぶどうジュースはけっこういけた。今でも売ってるのかな?)

大学受験は人によっては思い出したくない記憶かもしれない。辛くて大変なのは事実だし、また希望がかなわなかったのならなおさらだ。しかし、僕は割といい思い出だと思う。
うちの高校は2/3くらいは東大行くぞ!という感じだったので(現役で合格するのはその半分くらいか)、多くの人が同じ方向を向いているというのもあるかもしれない。はたして○ヶ月後(試験日まで)自分はどうなっているのだろうか?という不安に苛まれつつも、回りにいるみんなが同じ目的のために頑張っているという一体感は心地よかった。
うちの高校は一学年400人と相当大きな高校だったので、同じ高校にかよっているとはいえ一度も話したことのない人がほとんどだ。でも、その時間だけはみんな同じ方向を向いている。そいつらがどんな人かもしらないが、奇妙な連帯感があった。

高校までと違って、大学はいつでも行くことができる。自分の周りにも仕事をやめて来た人が数人いる。
でも、「受験生 」になれるのは18歳だけだと思う。