私 堪忍袋の緒が切れました!

女児誘拐事件事件の犯人がプリキュア好きだとかいう報道があった。
小6女児監禁男はプリキュア好き
東金市女児誘拐殺人事件のときもそんなことが言われていて、こういう報道自体はまたか…って感じのものだけれども、今回の記事はマスコミ叩きをする記事ではない。確かにプリキュア見てる→犯罪者予備軍という短絡的思考は良くないが、マスコミ叩きは他の人がやっているのでわざわざ自分も加わる必要はないかな、という感じ。

そもそもぼくはプリキュアシリーズを見たことがなかった。
「Yes!プリキュア! 5 Go!Go!」~」から始まる歌はいい歌だなーとか、通信教育のZ会中学コースの毎月発行している冊子で仕事紹介特集をしていたときに、東映アニメーションの人がでてきてプリキュアもでてきていたのを読んだとか程度には関わってきたが、本編は全く視聴したことがなかった。
ゆえにそもそも判断材料がないのでコメントしづらいというものがあった。

と、いうわけでプリキュアが本当に犯罪を誘発するような作品であるか(んなわけないだろうけど)見極めようという気になり、ついにプリキュアデビューしてしまいました。
見始めたのは以前から気になっていた「ハートキャッチプリキュア!」。
小学生の頃は日本のアニメはほとんど見ずにカートゥーンネットワークばっかりみていたので、他のリアル路線のものよりパワーパフガールズ的要素のすこしあるキャラデザに魅力を感じてしまうのである。

現時点で第3話「2人目のプリキュアはやる気まんまんです!」まで見終えたのであるが、特にこれを見たからといって少女を誘拐したくなりはしなかった。
一方で、この作品に込められた様々な象徴が気になってしまった。
これが今回の本題になるのであるが、たった3話見ただけだが、すでにこのハートキャッチプリキュアには気になるシーンがいくつかあった。特に気になったものを2つを取り上げて、意味について考えてみようと思う。

まず第一に、「プリキュアの種いくですっ!」→(変身) のシーン。
ハートキャッチプリキュアは全体的に花とか樹が重要なモチーフとして登場する。(心の大樹とか、ローゼンメイデンを思い出させる)
だから変身させるのにも植物系のアイテムを使うのはわかる。求められていたのが「普通の人からプリキュア化するのに必要な成分が全部つまっている物」だったとしたら、やはり種がふさわしいだろう。
しかし、なぜ変身のたびに種を必要とするのだろうか。一度「プリキュアの種」を身体に「植え」れば、その人にプリキュアの草?が生えて、枯れるまで持続的にプリキュアであり続けることになりそうである。しかし実際はそうはせずに、毎回アトマイザーの中に種をセットして出てくる香水を体にふりかけることによって変身する。この方式ではプリキュア(変身前)と妖精がセットでいるときにしか変身ができず、戦闘即応性に劣る。
また、常人がプリキュア化することで強くなる理由は、種から出た精油を体にふりかけることによってコスチュームと同時に見えないパワードスーツのようなオーラが生じ、それを纏うことで戦闘力を強化しているのではないか?と考えているのだが、 ならば直接種を取り込み体内からプリキュア化したほうが強くなれそうなものである。
なのにどうしてこのような方式をとっているのか?考えてみた。

   ・「花の命は短い」説
「~~~一輪の花!」がブロッサム、マリン両方の決め台詞であることからも、コスチュームのデザインが花びらっぽいことからも、プリキュアは「花」なのである。
植物全体の寿命は長いが、花の命は短い。すなわちプリキュア状態でいられるのは非常に短いのではないだろうか。だとすれば直接種を植える(=プリキュアと融合させる)ことは一時的な身体能力の強化をもたらすが寿命を大きく短くする。
これを避けるために、敵が現れるたびにつぼみ、えりか という樹にプリキュアという「花」を咲かせることで強化でき、しかも戦闘が終わって花が枯れても(=変身解除)樹であるつぼみ、えりかは生き続けることができる今の変身システムを構築したのではないだろうか。


 しかし、これではプリキュアの「種」である必要はない。これではあれはただの成長剤のような役割しか果たしていない。(ステロイドは関係無いだろ!いい加減にしろ!)
そこでつぼみ、えりかを樹ではなくて土壌として考えることもできる。この場合あの妖精から出てくる種は小さな種を固めてペレット状にしたものであると考えれば以下の図のような考え方もできる。

 
 

どちらにしても毎年咲く桜が同じ桜で無いように、毎回の戦闘で登場するプリキュアたちは、前回と同じプリキュアでありながら違うプリキュアなのである。


第二に、心の花を戻すシーン。

まずはこの画像を見て欲しい。この画像をみて何かおもわないだろうか?そう、受精の瞬間にそっくりなのである。(断言)
というわけで次はこのシーンについて考えてみたい。

  ・「死と再生」説
山伏の修行で、「胎内くぐり」というものがある。洞窟を子宮に見立て、擬死状態の修行者がそのなかに入って再び出てくることで「生まれ直す」というものである。
この心の花を戻すシーンも同じ意味合いがあるのだろう。
まず心の花(=霊魂)と本体(=肉体)の分離、これは明らかに死をあらわしている。心の花からデザトリアンが生まれるところは死後、恨みを持った状態の霊魂がさまよい荒ぶっていることをあらわす。身体という物理的延長を持たない純霊魂は自我という境界を設定することができず、衝動のままに動く霊的エネルギーの流れにすぎない。(オカルトっぽいw)
ゆえにデザトリアンのようにただ暴れまわる存在になってしまうのである。
それをプリキュアが倒したのちデザトリアンから心の花が出てくると、花はもとの元気な姿に戻る。おそらくこの段階で衝動的なエネルギーは解消され、霊魂は鎮められたのだろう。
これをもとに戻すことで再び霊魂と肉体がひとつになるのだが、更に受精のような視覚的モチーフを与えることで一層「生まれ直し」を強調しているのだ。


以上からわかるように、ハートキャッチプリキュア!は子供向けのアニメにすぎないように見せかけておいて、我々に死と生について考えさせる、深いアニメだったのだ。