複製技術時代の漫画作品

「夜王」という漫画を知っているだろうか。しらない人でもこれ(夜王用語辞典)を読めば読みたくなること必至だと思う。あるていど長い漫画では「○○編」というふうにストーリーの区分が付けられるのが一般的だが(バキでいえば「地下闘技場編」「幼年編」「最強トーナメント編」…)それに「アミバ編」「肉便器編」といった名前が付いていることからもこの漫画の異常性が伺える。

ストーリーとしては単純な勧善懲悪物語で、「良いやつ」は基本的に報われるし(一部は死ぬ)「悪いやつ」はぶちのめされるか改心するかのどちらかである。悪く言えば馬鹿でもわかる、よく言えば安心して読める…というものなのだが、どこかおかしい。(主にセリフ回し)
この女陥落(おち)たっ!!
人を殴るときに「ウオオーー!」 とか悪役(後に味方になるが)の笑い声が「ゲハハハ」とか、こっちが「ゲハハハ」と笑いたくなる。

しかし、一番すごいところがコピーの多用。漫画では回想を表現するために過去の絵をコピーしてくるという演出がしばし見られる。(特に長編になると連載中に絵が変化していることも多く、過去の表現としては新たに書いてもらうよりコピーしてもらったほうが読み手としてもありがたい気がする。) この場合、コピーの絵は「同じシーン」を表しているということになる。
しかし夜王の場合はそうではなく、完全に「使い回し」なのである。同じ絵が違うシーンに使われているのだ。違うシーンどころか違う人を表している場合も多い。

用語辞典から引用
下のコマ右3番めに注目

 漫画家のトレースはよく批判されるし、他人の著作物を勝手に利用しているわけだからルール違反だという主張も一理あるけれどもこの場合は自分の著作物なので何ら問題ないはずである。
ジョルジョ・デ・キリコは後年若いころの自分の作品の模造品を制作販売したことで有名だが、この場合は製作年表記の偽装まで行ったところに悪質性がある。しかし漫画は一品物でもないし、一枚の絵として価値が有るものでもないのでコピーが含まれていようと買った人に損害を与えるわけではない。
なにより、この漫画の作画をやってる人はコピーを使っていることを隠しもしていないし、テレビで自分のコピーテクを披露すらしている。

ひとつ思うのが、われわれの「所有」についての認識が情報技術の進歩に追随できていないのではないかということである。ほんの百年前までは芸術作品には必ず物理的実体の「本物」があり、「複製」があった。
写真の誕生によって「本物」の存在は揺らぐ。本物はネガなのかそれとも印画紙なのか、それとも写真によって写された「光景」なのか。ネガはそれ自体見られるわけではなく、印画紙はいくらでも複製可能。写真の写した風景に至ってはもはや誰のものでもない。
よく死後の人間の魂は仏壇にいるのか墓にいるのか、なんていう話があるけれどもそれに近いような気がする。写真は「存在しなかったもの」の墓碑なのかもしれない。

現代のメディアアートに至ってはもやは何が作品なのかは不明だ。実際に人びとがみる光景がそうなのか、それともそれを可能にする機器群なのか、それをコントロールするプログラムなのか…。一体何がそれを作品たらしめているのか、はっきり答えられる人はいないんじゃないだろうか。

そんなことに思いを馳せる作品でもあるが、それ以上に漫画を読んでこんなに笑ったことはないというくらい笑える作品なので一度読んでみることをおすすめします。