読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

西と東に見えるもの

あけましておめでとうございます。

というわけで年末のC85の話。
今回は1日目不参加、二日目は不参加ながら閉会後に事前準備に 会場にいき、三日目はサークル参加&コスプレという構成。今回は合体申し込みをしたので2サークル合同でテーブル一つをまとめて使えた。(テーブルあたり 2サークルというのはかわりないのだが、一面全体を使ってレイアウト可能なのですごく広く感じる。)

事前準備はサークル参加者は全員行くことができるので、一生に一度は見ておいた方がいい。(ただし事前に事前準備に行きたいから入場券をくれ、と準備会にいう必要がある。)
ビッグサイトのブース内にトラックが何台も入ってきて同人誌を各ブースに届けている姿は圧巻である。
搬入開始直後。この後もっとたくさん来た。

な かには自家用車を持ち込んで千部ほど(目測)持ってきているサークルもあり、自分もいずれはあのレベルになりたいと思った。(さらに搬入数の多い壁はもは や自家用車には入り切らないんじゃないかという量だった。おそらく一サークルごとに専用の軽トラがつくレベルなのでは?)
そういうサークルのブースに行ってはサークル名をのぞいて歩いていたのだが、三分の一くらいは知った名前だったりして、ほー!と心の中で声をあげたり。
それと、単に見て面白いというだけでなく、万が一の誤搬入を防ぐこともできるし、荷物をおいておくこともできる。(というか、これが前日搬入の本来の目的なんだけど)

当日の参加者はニワカ勢が多く「純度」が低いのだが、前日準備に来るような人達やスタッフはみんな心底「コミケが楽しい」という表情をしていた。
まぁ、なかには明日の収益のことを考えて表情がほころんでいる人達もいるのだろうが、、、。

そして相変わらず企業ブース批判になってしまうのだが、やはり企業ブースはコミックマーケットの理念に反しているとしか思えない。

コミケットの理念は「表現者のための場所」である。

自分含めて参加者は基本的に普段は社会の歯車として動いている。会社員や学生、家庭に縛り付けられた主婦などなど。もう日々生きていくために他人に与えられるタスクをこなしていくことに忙殺されている。
そういった人達が年に数回与えられる自由な表現の機会、それが同人誌即売会でありその最大のものがコミケットである。
同人誌即売会という名前だが、企業が制作に関与していない物ならなんでも売ることができる。たとえば、手作りアクセサリーというジャンルもある。)

正確な統計はないだろうが、ほとんどのサークルは利益なんて出ていないだろう。
オンデマンド印刷で本を出す場合を例に考えてみる。
印刷費だけでなく場所代も考えれば、100部頒布してようやく収支均衡というレベルだ。(利益と呼べるレベルで黒字を出すには150部がひとつのラインという気がする。
ところで、一日で100部頒布というのはなかなか厳しい。一回のイベントだけで100部さばけるサークルというのは上位20%程度ではないだろうか。実際には残ったとしても既刊として次のイベントに持ち込むことになるので計算は複雑になるが。
というわけで、同人サークルなんてものは収支トントンなら御の字、赤字なんてあたりまえという世界だと思う。
特に創作小説あたりは1日1冊うれればいい方なんていう話も聞いたことがある。
はっきりいって、経済的な考え方をすればよっぽど売れる自信がない限り出るべきではないだろう。お金が欲しいという理由であれば、年賀状バイトでもしていたほうが時間あたり収入は多い。

それでも同人誌を作る人は絶えない。お金を払ってでも自分の創ったものをみてもらいたいという情熱が彼らを突き動かしているのだ。
そういう思いが頒布される創作物にこめられている。
(疎外されていない、自己実現としての労働)
ちょっとこれは特殊な例になるかもしれないが、僕は自分で書いた同人誌が(今回は半分以上の文章を担当しました)が無断転載されているのを見つけたら、嬉しい気持ちになると思う。
自分の書いたものが求められるほど価値を認めてもらえているということになるからだ。

一般参加者は自身では何も表現していないかもしれないが、「表現者のための場」を支えているという点で重要である。

一方、企業ブースで展開されているものはすでにテレビや書籍で表現の場は与えられているし、せっせとこしらえるグッズだってすでにアニメイトという流通路がある。
なのになぜコミケットにくるのかといえば、「会場限定商品」とかいう踊り文句をつけただけの物を売ってもうけたいだけだ。そこには情熱はあるだろうか?
べつに会場限定である必然性はなく、アニメイトでうりゃあいいものだ。アマゾンでも売れる。
ただでさえコミケットは3割近くのサークル申し込みを断らざるを得ないほどキャパシティが足りていないのだから、西34ホールも表現の場を求めるサークル参加者に開放すべきだ。と思う。

昨今は「コミケは企業ブースだけ行く、素人の作ったものなんて何が面白いの?」という意見も出てきている。
こういう参加者が増えてくると、余計に電車もこむし余計にビッグサイトの人波もはげしくなる。
何より、理念を理解していない「客」が増えることで雰囲気が悪くなってしまう。
コミケットをただのアニメグッズの出張販売所と勘違いしていないだろうか?

もちろん大手零細の違いはあれど、みんな平等な参加者というのが理想であったのに、そこに「公式」がやってくるというのは野蛮な「帝国」の「専制主義君主」が作動し始めたということを意味している。(???)

べつにわざわざコミケットでやる必要はなく同日に東京国際フォーラムあたりで別にアニメイベントでも開けばいい話ではないだろうか?
そうすれば、うまく分散するし万事解決すると思うのだが。

オタク論でよく言われることであるが、かつての本物のオタクはただ作品を消費するだけでなく、みずから発信していたのに対し今の自称オタクはただアニメや漫画を眺めているだけだと言われる。
イ ンターネット上での活動においても、かつてのファンサイトで作品を髄までしゃぶりつくすようなスタイルが2ch実況板やTwitterでその場だけ で完結するスタイルへ変化してきたというのがその一例としてあげられる。(バルスとかはまさしく後者の代表例といえる)
ぼくは昔のオタクを知らないし、懐古厨が勝手に過去を美化しているだけで今も昔も実はそうかわらないんじゃないかと思っているのだが、この理想的な「昔のオタク」が人々の思うあるべきオタクの姿であるということなのではないだろうか。

金 曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」をやるたびにバルスバルスいってる奴らをみて毎度毎度レッドホットチリペッパーがいればこいつを回線越しに殴れるの になあと思っているわけなのだが、やはりコンテンツをただの共通の話題にしたいだけの現代型<オタク>にはついていけないなぁと思うし、またついていきた くもない。
そういった消費スタイルを否定するわけではないし、べつにアニメをそういう風に楽しむことは悪いことではない。
だけど、アニメや漫画が好きなことは決して「オタク」であることと同値ではない。「オタク」と<オタク>は相容れない存在なのだ。
(両者は対になるものではなく、全く異なるダイアグラムに依るものである。なので、もちろん両方の属性を兼ね備えているということもある。)

コミケットは「オタク」のための場所であり<オタク>の場所ではないのだ。

Appendix


・企業と言ってもワコムとかコピックの会社が来ているのは許せる。そういうのは表現者にツールを与えることでコミケット参加者の表現を助ける意味がある。
表現者のための場」として、ツールの見本市的な企業ブースならふさわしい。
東京に住んでいればヨドバシカメラでペンタブを実際に触ってみることもできるが、地方に住んでいる人はなかなかそういう機会はない。
手に入れればそれでいい、というアニメグッズと違ってツール類は買う前に試してみないとなかなか手が出せない。そもそも、よっぽどアンテナを張っていないとどんなツールがあるのかなんて知らないというのが普通なんじゃないだろうか。
これから創作活動はじめるぞ!というときはいろいろ調べるものだが、なまじ必要なツールを揃え終えてしまうとあるもので済ませてしまえるので新しいツールへの興味が薄れてしまうものだ。
新しいツールがあればそれだけでいいものが作れるようになるというわけではないが、確実に表現の幅は広くなる。
表現者に新しい可能性の「気付き」を与えるような企業ブースであればいいということである。

・西34ホールの立地上の問題があって、実は企業ブースができるまでは西34ホールは利用されていなかったという問題もある。
というわけで、企業ブースがサークルを押しのけたわけではないのだが、西34、じつはそんなに不便でもなくない?と気がついた時点でサークルスペースにするべきだったのではないだろうか?