靖国神社問題

僕は自称左翼なので安倍晋三については当然立場上不支持ということになる。(まぁ、実際嫌いだし…)

なので、先日の靖国参拝にも反対と言わざるを得ない。それがもう義務みたいなものである。

しかし、別に中国韓国の反発がどうこう、というところはそれほど重要な問題だとは思えない。
まぁ、外交のことを考えればこれが「靖国問題」で一番重要ポイントなのだろうけど、個人的にそういうことにはあまり興味がもてないし、そういう方向からの批判はほかの人がしているから今更僕がする必要はないと思う。

A級戦犯が合祀されているという点についても同様である。
というかむしろA級戦犯みたいな国家の重要な立場にいて戦争を主導した者こそ靖国神社に預けておくべきだ。(理由は後述)

むしろ、僕が問題に思うのは一般の戦没者を靖国神社に祀っていることである。

普通、日本社会で人が死んだら先祖と同じ墓に入る。同じ墓石のしたとは限らないが、近接したエリアの墓石に入れるのが普通だろう。一家の墓はまとまっているのが普通だ。
(最近はそういった考え方も古くなってきており、夫婦一世代だけで墓所を買ったりするのも多い。うちの父方の祖父母も富山出身だが二人だけで東京の墓に入った。また、改葬なんていって墓をうつすのもよくやっているそうだ。)

直接その死者を知っている人にとっては、その死者の霊は個性を持った人格霊として現れる。
しかし時がたち故人を直接知るものがいなくなると「〇〇家先祖代々」の一部としてシャーマンキングで云うところのグレイト・スピリッツの小規模版的な、個体性を持たない「祖霊」の一部となるのである。過去帳をみれば名前くらいはわかるかもしれないが、基本的には個体性を持たない非人称の霊として。
そして子供や、さらなる子孫の中で霊的に生き続けるのである。
というのが僕の祖霊信仰についての考え方である。

この終わり方、嫌いじゃなかった
完全版ではグレイトスピリッツをオーバーソウルするらしいね


しかし、戦没者はそういう家族的連帯から切り離されて「日本国家」の持ち霊もとい所有物とされてしまっているのだ。

国の方はよかれと思ってやっているのかもしれないが、自分が戦没者だったらやっぱり家族や先祖のいるほうに行きたいし、遺族だったとしてもやはり霊だけでも家のほうに帰ってきて欲しい。「 国は命だけでなく魂も家族から奪うのか」と思っていただろう。

もともと日本では霊に語りかける窓口として墓の他に仏壇があったりするし、さらに実はお盆以外は霊は墓でも仏壇でもなくあの世にいるなんていう言い伝えもある。
だから今更窓口がひとつ増えたくらいでどうということはない、ということになるかもしれない。

しかし、墓や仏壇は最低でも血縁関係はある程度の「縁」のある人が故人への思いをこめて建て、お参りし、そして最後には自分もそこへ入っていくという場所である。

一方で、靖国神社は故人を生前のことなどまったく考慮せず「国を命懸けで守ったエライヒトタチ」のひとつとして陳列しているだけの施設である。
そしてそこに故人とは縁もゆかりもない自称愛国者がやってきて、陳列物に成り下がった死者たちの「国を命懸けで守ったエライヒトタチ」としての側面だけを見て勝手に感動しているだけの場所だ。

あなたが死んだら、はたしてそういうところに入りたいだろうか?またあなたの親兄弟をそういう場所に入れたいだろうか?

僕はそうは思わない。
靖国問題の解決策として戦犯をのぞいた戦没者だけを無宗派の慰霊施設にいれなおしてそっちを参拝しようなんていう案があるが、ぼくとしては靖国神社やその慰霊施設から解放してとっとと家族の元に帰してあげるべきだと思う。

僕も個人的に幽霊を信じているわけではないし、人間死んだらそこで意識は終わりなんだろうな、と思っている。(でも、自分自身の死には到達できないと云うところがまたおそろしい)
もちろん、幽霊が実在すればうれしい。だって、自分も死んでも意識を保つことができるということになるのだから。
しかし、「霊的なもの」というものはやはり軽視してはいけないと思う。
それは祟りが怖いから、ではなく自分の先祖くらいには敬意を払うべきだと思うからである。

魂というものは、グレイトスピリッツから湧き出る
プロミネンスのような一瞬の煌きであると考える。
石油王のもとに生まれようがシエラレオネのスラムに生まれようが、
100歳まで健康に生きようが1歳で餓死しようが
すべての生命は等しく祝福されているのである。


一方で、さきほど述べたようにA級戦犯だったりする人達は自分から国家に身を捧げたわけであるのだし、そういう人達は別に祀っていたとしても構わないと思う。
戦争責任とはそういうもので、戦争主導者は生きているうちから国家のカテゴリーに属しているのである。
カントローヴィチの「王の二つの身体」ではないが、政治的霊魂とでも呼べるものが分離していてそれが靖国神社に入っているのである。

僕は本を読む気も映画も見る気はまったくないのだが、話を聞く限り「永遠の0」に「感動した!」とか言っているのはやばい気がする。
よってたかって若者を自殺(=特攻)するまで追い込んでおいて、勝手にそれを美談に仕立て上げるというのは死者への冒涜である。
あれを見て感動してる連中は実際戦争が起きれば、「はだしのゲン」に出てくる軍国市民みたいな感じになるのではないでしょうか。
非国民予備軍としては恐ろしいことです。