頭脳王にみる頭のいい人の演じ方

伊勢旅行中、頭脳王というクイズ番組をやっていた。
触れ文句はものすごいけれども、内容的には大したことはない。
(僕が理一だから理三に対してコンプレックスを抱えているというわけではないぞ。決して。)
他にすることもなく、家族で見ていた。内容的にはアレだなぁと思いつつだったんだけれども、番組自体はSuggestiveだった。いかに「普通の人」に対してこいつらは「頭がいい」かをアピールするか。とても効果的にできていたと思う。

ということは「頭脳王」の手法を使うことで「頭がいい」と思わせることができるのではないだろうか?ということについて考えてみた。

  

まず知識問題から。
東大クイズ研究会の会長が知り合いにいたので昔聞いたんだけれども、ああいうのは事前に試験範囲が知らされているという。一部はそうでない問題もあるかもしれないけれども。
つまり、あれは森羅万象どれだけ知っているかというものではなく、アンチョコをどれだけ記憶できるかの勝負なのである。でもその事情を知らない人は「きっとこの人達は聞かれたことにはなんでも答えられるに違いない」と思ってくれるのである。
ここから「頭のいい人」を演じるためには予習が大切だという教訓が得られる。
しかし、現実では話題の範囲が指定されていないことが多い。しらないことに話が及ぶことがあるだろう。そういうときは「わからない時は黙る」というのも合わせて使うと効果的だと思う。
この間の 『ヨルタモリ』でタモリが物知りを演じる方法を語っていた。他の人が自分の知らないことを話していても「へぇ~」とか「そうなんですか~」は言ってはダメで、相手が全部語り終わってから「そう。」と自分もそれは知ってたぞ、とアピールしていれば物知りを演じられると言っていた。

次に文章題というか、見た人はわかるかもしれないけど「(放射性炭素年代測定を使って)恐竜の骨からその恐竜が生きていた時代がわかる!?」とかいう系統の問題。
これも背景を知らない人にはそんな魔法のようなことができるのか?と思わせることができるが、問題内容的には黄チャートにも載っていそうな単なる指数対数の計算である。
放射性の炭素同位体がどれだけあるかを調べるのは専門家じゃないと…というかしかるべき装置が必要なんだろうけれども、計算自体は特に難しいことではない。
しかし、その内実をなるべく見せないことが重要なのである。実際に番組を見ていても、問題をとくために必要な条件はほんの2、3秒しか見せていなかったはずだ。まともに高校に通っていれば、その条件さえ見れば「なんだ、ただの計算問題じゃん」と思えるはず。(だよね?)
また、問題を解いている時に数式をガリガリ書いている様子を見せるのはは非常に効果的。
模試の採点をやるとわかるけれども、自然言語で解説のついていない数式の羅列というのは読む気がしない。(かといって×をつけるわけにも読まないといけないのだが。)見慣れていない普通の人だったらなおさらだろう。式の意味というのは説明がついてなければひと目でわかるようなものではない。
というわけで「訳の分からない数式」を欠いている姿を見せることで見ている人に1から10まで自分の知らないことを言ってる/書いてる…わかんないけどとにかくすごい! と思わせるのだ。
飛び石の最初の方を隠しておいて、遠くで飛んでいる姿を見せることが重要なのである。