駄文0

みなさんは、藤崎竜先生の「封神演義」を読んだことがあるだろうか。
かつて週刊少年ジャンプに連載されていた漫画である。

この漫画は漫画自体も面白いのだが、それと同じくらい「駄文」が面白い。
「駄文」というのは単行本化の際にページが余ったところに藤崎氏がいろいろな文章を載せているのだが、「もしこえだめがブームになったら」とか「人間がその耳からチーズが出てくる動物だったらどうなるか」など、そんなことを考えてどうするのかと思う人もいるだろう。(というわけで藤崎氏は「駄文」と銘打っているのだが、それを読んで楽しんでいる自分のような人間がいる時点で「駄」文ではない、といってあげたい)

アイデアも奇抜なものが多くてその想像力に舌を巻くのであるが、文章も上手だと思う。
自分も想像力にはある程度自身があるのだが、ああいう風に最後までそれを文章化する能力は無いので非常に羨ましい。
何故上手な文章をかけるのか…?ということについて考えていたらひとつ気がついたことがあった…。

作品を読んだことがあるかどうかはともかくとして、三島由紀夫の名前を知らない人は少ないだろう。三島由紀夫の作品は全体を通して論理的な整合性が高く、それは法学部で学んだ経験による、と言われている。一般的にも法学部出身は整合性のとれた文章を書くのが上手であるという。
実際に法学部では文章の書き方なんかも教えられていて

刑事が自転車に乗って逃げる泥棒を追いかけた。

のような解釈が幾通りもできる文章を書かないように、など言われるそうである。(自分は法学部ではないのでよくわからないが)
というわけで、その教訓が小説にも生きているというわけである。
ちなみに本題とは関係ないが、三島由紀夫は「卵」という短編を書いているのだが、これは珍しくファンタジックな話である。しかし友人の澁澤龍彦も言っているように正直言って出来はよくない。ファンタジックな方向への想像力はなかったのだろうか。

一方で藤崎氏はシステムエンジニアになるためにコンピューター系の専門学校に行っていたそうだ。知っての通り、コンピューターに命令したいときは「あれやっといて」みたいな曖昧な命令ではだめだ。こまかな手順も規定の書式を用いてことこまかに記述し、それを読みこませなくてはいけない。書くのは日本語ではなくプログラムやスクリプトであったにせよ、論理的な整合性のとれた文章を書くことを要求されていたはずである。その経験が文章力に生かされていたのではないだろうか。

自分もどうにかして論理的な文章を書くすべを身につけたいものだ。