アメリカで感じたこと

6/2-6/4という弾丸日程で、シアトルに行ってきた。(直行便があり、行き8時間帰り9時間くらい。まる2日使える。)

アメリカにいったのは初めてだったんだけれども、今まで行ったことのある国で感じたことのないどこに何があるのかわからない感覚があった。街のリズムが違うというか、ああここらへんはそういうところなのね、というのがない。

空港から市街地に向かってはLINKという列車に乗っていどうすることになるのだが、この車窓からみえる風景はいかにもアメリカという感じ。コールオブデューティモダンウォーフェア2に出てくるアメリカの住宅地、、といって伝わりやすいかどうかわからないけどあれである。 きれいにならんだ長方形の土地に、土地の広さからしたらこじんまりとした建物がのっているやつ。

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こういうのがいつまでも続くのかなーと思っていると、急に景色が一変する。視界にセーフコフィールドが見えたと思った瞬間からいわゆる都市の風景が飛び込んでくる。(でもあまり高い建物はない。横に広いから高いビル立てる必要がないのだろうか。)この落差が急なのである。 成田空港から都内に電車移動していると、田園風景からだんだん住宅がふえはじめ賑やかになっていくゆるやかな変化が楽しめるのとは対称的。

で、中心部の駅で降りて予約していたグランドハイアットシアトルという一流ホテルへむかったわけだ。(その割に水もただでくれないホテル。けちだ。) 歩いていて言葉では表現しづらいが、何か変な感じがする。あるはずのものがない?のかないはずのものがある?のか。とにかく慣れない。

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いまとなって思うに、コンビニに相当するものがないということが違和感の原因なのではないだろうか。日本や中国はもちろんだが、ヨーロッパのほうでもコンビニ的なものは必ずあった。(24時間営業ではないにせよ)でもシアトルにはそれに相当するものがほとんどなかった。大きめのスーパーを見かけたくらい。 喉が空いたとか小腹がすいたといったとき、アメリカの人たちはどうしているんだろう。毎日コンビニで買うなんてちまちましたことはせず、週末にコストコでどかんと買い込んで毎日消費していくのだろうか? セブンイレブンは空港から市街地に向かうLINKの車窓から一軒見つけたけど、市街地に入ってしまうと一件も見つけられなかった。単に行動範囲がまずかっただけ?

ホテルの近くのスーパーには、噂では聞いていた肥満者用の電動カートがあった。乗っている人もちらほら。(からだが膨らみすぎてズボンがずり落ちるのか、お尻の割れ目がだいたいチラリしている。)こんな街中のスーパーでそれって、ここまではどうやって来たの?といいたくなるのだがスーパーの駐車場からカート置き場くらいまでなら歩けるのだろう。

シアトルにはAmazonMicrosoftといったIT企業の本社、飛行機といえばのボーイング本社がある。でもシアトルの街をみただけだと、どうしてこんな国からこうもいろいろなものが生まれるのだろうと不思議でならない。一部観光地になっているところを除いたら街だって汚いし、ものは溢れているけど洗練されていないし(プラハのスーパーとかショッピングモールのほうがよっぽどいい) 歩いているとなんとなく陰鬱な気分になってくる。

暮らしという点でいうと、東京ってほんといい街なんだろうなぁとよその世界を知ると思う。でも東京は住みやすいけど活気という点ではどうなんだろうか?この住みやすさは他者を排除することで生まれる同質性によるものなのか?だから東京からは世界に通用するものがうまれなくなってきているのか? といったことを考えた週末でした。

ことりっぷ 海外版 ロサンゼルス・サンフランシスコ シアトル (旅行ガイド)

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