ダース・ベイダーになりたいカイロ・レンとスター・ウォーズになりたいスター・ウォーズ

今更ながら、『スター・ウォーズエピソード8 最後のジェダイ』を見てきた。 あまり周りの評判が良くなかったしEP7が面白くなかったので今作もどうかなーと思っていたけれども、面白い映画だった。何様だよという感じだが、見直したぜって感じ。まだ見てない人は劇場へGO。

starwars.disney.co.jp

といいつつ、これより下にはとても好意的とは思えないような言葉が並んでいるけれども👼

用語について

ちょっと自分で書いててわかりづらいなと思ったので。

アナキン三部作: 『ファントム・メナス』『クローンの攻撃』『シスの復讐

ルーク三部作: 『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還』

レイ三部作: 『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』とこれから公開される最後のやつ

スター・ウォーズ」とカギカッコ付きで描いた場合、アナキン三部作とルーク三部作のスカイウォーカー親子の物語をさす。スター・ウォーズと平文で書いたらそうじゃないということになる。

ダース・ベイダーになりたいカイロ・レン

カイロ・レンは新世代の「ダース・ベイダー」にならなければならないのだが、そうはなれていない。 フォースも強いらしいしライトセーバー捌きだってうまいらしい。 でもダース・ベイダーのような威圧的な恐ろしさもなければたいした戦果もない。

両者の間には「フォースにバランスをもたらすもの」という宿命を持って生まれた者とそうでない者の違いが厳然と存在している。

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でも、カイロ・レンはダース・ベイダーにならなければならない。そうスクリーンの内と外両方から望まれている。 スクリーンの内側にいる最高指導者スノークには反乱軍に対する恐怖の象徴としてダース・ベイダーの再来になることを求められ、スクリーンの外側にいる我々にはスター・ウォーズという娯楽映画を盛り上げるための悪の象徴としてダース・ベイダーの再来になることを求められている。 カイロ・レンは自らの人生ではなく、ダース・ベイダーとして生きることを強要されているのだ。

だからこそ、自力で呼吸ができないわけでもないのにマスクをかぶってみたり理由もなく黒尽くめの衣装に身をつつんだりしないといけなかったのだ。 これらはカイロ・レンが「ダース・ベイダー並」になるのではなく、「ダース・ベイダー」になることを目指していることを示している。 その一方で、今作「最後のジェダイ」ではダース・ベイダーが1人ではなし得なかったマスター殺しを実現するなど、ダース・ベイダーを乗り越えようというあがきを見せ始めた。

スター・ウォーズ」になりたいスター・ウォーズ

レイ三部作の特徴のひとつは、ルーク三部作のオマージュがいたるところにみられるところだろう。

今回の最後のジェダイでも、敵の拠点に変装して潜入するところ、その内部のとある装置を止めに行く作戦、雪か塩かという違いはあれど白い大地の広がる惑星を歩くウォーカー、反乱軍の基地を制圧したがすんでのところで脱出されてしまう…などなど。デジャヴかな?と言いたくなるようなシーンがいっぱいある。 分かる人には分かるファンサービス、みたいなおまけ要素ではなく、たぶん旧三部作を一度でも見ていれば誰でもわかってしまうレベルに寄せている。 (これらがどうも僕にはファンメイドのオマージュ作品という印象を与えてしまう。)

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↑『帝国の逆襲』のホス  『最後のジェダイ』のクレイト↓

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また、ルーク三部作とアナキン三部作では登場人物の服装や登場する惑星の風景、そしてなにより登場するスターファイターを始めとする兵器なにもかもが異なる見た目をしている。しかしレイ三部作はすごくルーク三部作に近い。ちょっと見た目は違うけどXウイングやAウイング、タイ・ファイターはそのまま出て来るし 反乱軍の艦隊もネビュロンBフリゲートやらモン・カラマリ スタークルーザーやらGR-75中型輸送船やら見覚えのあるものばかり。

これは「スター・ウォーズ」なんだぞ!というアピールが過剰なのだ。

なんかこれって、先程のダース・ベイダーになりたいカイロ・レンとだぶって見えませんか? スカイウォーカー親子の物語としての「スター・ウォーズ」はアナキンのライトサイドへの復帰と死によって終わってしまいもう描くことはできない。ゆえにディズニーのスター・ウォーズは「スター・ウォーズ」たりえないのだけれども、「スター・ウォーズ」になりたいのだ。 だからこそ、過去作を引用しまくることによってキッチュに「スター・ウォーズ」らしくある必要があった。

しかし、こちらもハン・ソロやルーク、アクバー提督といった過去の人々をどんどん退場させることによって、過去の「スター・ウォーズ」を乗り越えようとしている。R2-D2もBB-8にとってかわられようとしているしね。

二作目を見て見えてきたこのトリロジーの方向性

レイが砂漠の惑星で鬱々とした日々を送っているところからレイ三部作は始まった。しかし今回明かされたように、レイはスカイウォーカー親子と違い何者でもなかった。ただフォースを使うことができるだけで、フォースによって生まれた、とかいったトクベツな血筋があるわけじゃない。 これがディズニーのスター・ウォーズが本物の「スター・ウォーズ」ではないことを暗示しているんじゃないのかなぁと思った。

(余談だけど、トクベツな血筋を途中まで期待させておいてそうじゃないって「ブレードランナー2049」でもありましたね。)

レイが出自不明だった前作では、レイの親はハン・ソロなのかな、ルークなのかな、いろいろ思いを巡らせる人が多かっただろうと思う。すなわち、エピソード7は本物の「スター・ウォーズ」の物語なのかな、と。 しかし、レイはスカイウォーカーとは関係ないただのフォースが使える人だったのである。これはすなわち、レイ三部作が「スター・ウォーズ」の物語(スカイウォーカーの物語)ではないことを象徴しているとは考えられないだろうか。

今作でときたま見られたフォースを介したカイロ・レンとレイの対話は、「スカイウォーカーの物語=ほんものの「スター・ウォーズ」」とそれを象徴するルーク・スカイウォーカーに対するダース・ベイダーになれないカイロ・レン+「スター・ウォーズ」になれないスター・ウォーズレイ三部作を象徴するレイの葛藤を示していたりするのかな、なんて。

ダース・ベイダーと「スター・ウォーズ」、偉大すぎる名に縛られたカイロ・レンとディズニーのスター・ウォーズ。この新しい三部作はそれぞれが過去の名を乗り越え、自らの道を歩み始めるまでの物語なのではないだろうか。