漫画村を使うのはいけないことなの? 上

はじめに

以下では漫画村を使うこと=よくないことだとはいえないんじゃないかといった説を展開する。でも別に利用を推奨しているわけではないし、自分の働く会社のグループの業績に直撃するのでできればやめてほしい。 というか自分的には漫画を読むこと自体を推奨しない。自分も全く読まないわけじゃないけど、今の日本人は漫画の読みすぎだし、漫画文化がこれ以上隆盛するのはやばいでしょ、という思い。

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ちなみに電子書籍で漫画を買うときはGoogle Play Books派である。(Kindleよりずっと良いと思うんだよね、全然流行らないけど。)

では、本題にはいろう。

法と倫理

法と倫理は別の体系

まず漫画村問題を考えるにあたって前提としなくてはいけないことがある。

漫画村を利用して海賊版の漫画を読む行為そのものは日本の法律上許されている。これは天下のNHK様のお墨付きだ。

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このもとで、いやそれでも漫画村はよくない、使うやつはクズだ!死ね!という場合それは法律とは別の倫理規範に基づいて判断が行われたことになる。 立憲主義かつ法治国家である日本国において、価値判断の規範として最も有効なのは日本国憲法である。そして、憲法上の理念を具体化した法律はその次に有力だといえるだろう。

政治的なものの概念

政治的なものの概念

これは自分の考えだが、法というものは倫理を強制するものではない。国家が何をよしとし何をあしとするかの判断は恣意的である。※

先程のように漫画村利用者を断罪する意見は、この規範とは別の規範を呼び出していることになる。 これって、正しいことなのだろうか?日本国内で、人に強制していいルールって、憲法・法律のような立法権が制定したものだけじゃないのだろうか? 今のところ漫画村で本をよむな!というのは高校生らしい服装をしろ!とか就活は黒のスーツを着ろ!といったのと同じだ。 法になっていない行動規範を各自が勝手に持つのは自由だが、それを他人に強要することは不正だ。

法の力 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

法の力 〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

難解といわれるデリダ。自分も「声と現象」とか「散種」あたりは一回読んでチンプンカンプンだったけれども、『法の力』は読みやすいし面白さがわかった。

我々は何を買っているのか

我々が本屋に行き、レジで紙の塊と引き換えにお金を払うとき我々はなんのためにお金を払っているのだろう。 IT化がここまで進む前は、ナイーブに所有権を買っていたと言えた。 しかし、それが正しいのであれば買った本を切り刻んだりスキャナにかけたりスキャンデータをインターネット上にアップロードしようが自由でなければおかしい。

ベンヤミン・アンソロジー (河出文庫)

ベンヤミン・アンソロジー (河出文庫)

ソフトウェアであれば、一般に対価はデータの所有権ではなく利用権を買っていることになっていて、商用ソフトウェアのデータを勝手に解析するのは違法である。 (フリーなソフトウェアを志向する人たちは、そうじゃなくてソースがそこにあるんだから見たりいじったりしてもいいだろ!それが当然の権利だ!と言っているのだと自分は理解している。) これって多分国が勝手にやってくれたわけじゃなくて、ソフトウェア産業界がロビー活動なりを頑張ってできた成果だと予想している。詳しい人教えてください。

漫画村が問題になっているのは、出版業界が時代の流れに目をつむり、そこらへんの努力を怠ってきたツケが回ってきてしまったのだと思う。 それを利用者の倫理とかそういう問題にすり替えるのはそれこそ不正義ではないかと言いたい。

現代倫理学の冒険―社会理論のネットワーキングへ (創文社現代自由学芸叢書)

現代倫理学の冒険―社会理論のネットワーキングへ (創文社現代自由学芸叢書)

倫理学については↑がよくまとまっている。


ちょっと長くなってきたので記事を分割しました。

上では漫画村を使うことは倫理的に不正義だと考えられることが多い。しかしそれが法規範として整備されていない以上、その倫理を強制させることは不正義ではないのか?という問題提起をしています。

続きはこちら

漫画村を使うのはいけないことなの? 下

※に関しては、こういう本が最近面白かったです。

法のデザイン?創造性とイノベーションは法によって加速する

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