未来を知るためには未来に近づかなければならないのではないかという話

最近、会社の入っているエレベーターの中でうちの会社の下に入っているタバコ臭い脳筋ばかりの会社(不動産関連らしい)の人たちだろうと思しき脳筋たちが、「家の都合で実家に戻ることになったんだけど、この歳で実家ぐらしってかっこ悪いよなぁ」みたいな話をしていた。世間の認識ではそういうことになっているらしい。

まぁ僕は聞いても「それは生まれた場所が悪かったね」という感じでまったく一人暮らしをしようとか思わないんだけれども、だからといって寄生しているわけではない。

働き始めたとき、年にひとつづつを目標に、必須ではないけれどもあったら便利だろうという家電などを導入しようと思った。まず一年目が食器洗い乾燥機を導入したのだが、これはかなり評判が良くて、今では無くてはならないアイテムになっている。しかし次はどうしようかと思うとなかなか難しい。洗濯物を自動でたたむくんはコンセプトは最高なのだが、さすがに高すぎだしでかすぎ。

いちおう妥当な線として、ロボット掃除機かなという考えに至った。掃除機がいらなくなるわけではないだろうと思うけれども、人間がかける頻度は減らせるはずだろう。

そこで気づいたんだけれども(ここからが本題)、実は自分はそれほど未来テクノロジーに触れてない。ロボット家電はもちろん、スマートスピーカーとかスマートホームとかそういうのも全くスルーしている。一時期Arduinoとかmbedに興味があったけれども、結局何も作り上げることはなく飽きてしまった。

なんでかっていうと、それらがあることによって何が便利になるのか、今までできなかった何ができるようになるのか想像がついていないからだと認識している。いろんなセンサーがWiFiやBluetoothで世界とつながるようになる。これをどう具体的にどう実現するとうれしいのか、想像力が追いついていないんだろう。これはよろしくない。

特にIoT系はそれが当てはまる。Arduinoとかいじってる人たちも、きっと最初のうちはいろいろ他人の猿真似をして作っているだけだけど、とにかく触っている内に今までやられてなかった組み合わせに気づいて、新しくて面白いものが作れるようになるんだと思う。加えて、アイディアを思いついたときに手が動くようになっているのも大事だと思う。センサモジュールから値をどう取り出すか、データをどうやってインターネットに送るか、そういった基礎知識がない状態だと、ちょっとおもしろそうなアイディアが思いついても「うーん、でもどうやっていいかわからないし、いいや」となってしまう。(これはプログラミングも同じ。)

Arduinoをはじめようキット

Arduinoをはじめようキット

話はIoTみたいに自分の能動的な働きかけが必要な分野に限らない。 将来テクノロジーで世界を変えたいと思っている自分としても、やっぱり新しいテクノロジーには触れるべきだろう。仮にそれが「ハズレ」、すぐに廃れる技術だったとしても実際自分で触れてみていなければどういうところがダメだったのか、何が足りなかったのか知らないままだ。逆にいろいろ触れてみたものがのちのち当たったか外れたかをたくさん経験することによって、未来に求められるモノがどういうものか勘を鍛えることができるはずだ。

というわけでこれからは「今自分がほしいか、家族に楽をさせてあげられるか」確信をもっていなかったとしても、積極的に触れてみることにしようと思う。

というわけで早速?ロボット掃除機は買ってみることにした。掃除をロボットにさせることで新しい世界が見えたら、またそれについて書いてみたいと思います。