以前、漫画村について
上記2つの記事を書きました。その後漫画村が実質閉鎖状態になったり、アップロード者について捜索が行われたりしたりして、いよいよプロバイダに依るDNSブロッキングということになりましたね。
この状況で、改めて漫画村について思うことをつらつらかいてみようと思います。
ブロッキングは有効、これは間違いない
漫画村にアクセスできるDNSを使うように設定すればなんの意味もない、根本的な対策になっていないブロッキングするなんて馬鹿じゃないの?という人が多いけれども、そんなことができる人がいったい世の中に何人いるでしょうか。
アングラ思考のブログとかで「漫画村へのアクセスの仕方」みたいな解説記事ができたところで、それに従ってすら操作できない人が大半でしょう。若い人ならPCスマホを使いこなせるというのはおじさんおばさんの誤解で、年台にかかわらず情報機器をまともに使える人なんかそんなにいません。
漫画村問題は質的なものではなく量的なものです。HDDを塔のように積み上げてP2Pファイル交換ソフトを動かしているような、もはやコンテンツを無料で見ることよりも「割る」ことそのものが趣味になっているような人たちだけのものであった勝手コピーをITリテラシーのない人でも簡単に利用できるようになっている点が問題なのです。
いつの時代も割れに情熱を注ぐような人々は一定数居るし、そこを潰そうとするのにかかるコストは補填されるリターンよりずっと多いでしょう。しかし、漫画村を使っているような層の多くはライト層で、そこを潰して得られるリターンは非常に大きいのです。
ブロッキングは通信の秘密を侵すものではない
DNSで漫画村を引けなくする行為は、通信の秘密とは全く無関係です。なぜなら、そこで使用する情報は郵便でいえば宛先情報に相当する部分だけであって、通信の中身を見ているわけではないからです。
中身を盗み見ること無くとも、誰が誰に連絡をとっているということがわかればそれだけで大きな情報が得られるというのは事実であります。エニグマ暗号の解読のきっかけも、通信の中身よりも誰が誰にどこから送っているかを徹底的に調べるところにあったと聞いたことがあります。
ただまぁ、現実として宛名を見られることが検閲にあたるとはいえないでしょう。
検閲はインターネット以前から行われている
日本では、刑務所の内と外で手紙をやり取りする場合は検閲がかかります。検閲はだめって憲法に書いてある以上、これはふつうに違憲行為だと僕は思います。(することが正しいかどうかとは無関係に)
立憲主義を標榜している国とは思えませんね。
ブロッキングは表現の自由を侵しているかもしれない
一方で、漫画村をブロッキングすることは表現の自由を侵害しているとはいえるでしょう。漫画村には著作権侵害コンテンツ以外にも、FAQのようなオリジナルコンテンツも存在しており、これを漫画村運営が発表する権利を侵害しているのではないかともいえるでしょう。
↑ オリジナルコンテンツ
ここで微妙なのが、サーバーを差し押さえたりするわけでもなく通信を遮断するわけでもないので、どうしても漫画村のFAQが読みたい人はIPアドレスを直に入力して読むことはできるところです。漫画村運営はFAQをインターネット上に公開できているので、表現の自由の侵害にはあたらないんじゃないかというのももっともです。
しかしDNSレベルのブロッキングであっても相当数の人が技術的にそこにたどり着くことは相当難しくなるわけで、公に発表する場を奪っているのも事実。「表現の自由」という言葉が、何を指しているのか解釈が非常に難しいですね。
話は変わって、いま日本全国の都道府県には暴力団排除条例というものが制定されており、これにもとづいて暴力団員を依頼主または宛先にした宅配便等は配送会社がとりつがないようになっています。(手紙はOKらしい)
これも、もちろん本人たちが直接移動して行う荷物の受け渡しが禁止されているわけではないけれども、経路がふさがれることによって実質できないという状況になっているわけです。これはかなり合法的かどうか危ういと思います。
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
という表現が消極的自由を保障するものか積極的自由を保障するものかどっちだと思うかによって考え方は変わると思うんですが、かなり黒に近いんじゃないかというのが僕の感想です。
とはいえそもそも憲法が想定している通信とか表現という行為が、インターネット上での表現や通信というものを想定していないので無理が出てきているというのが正直なところでしょう。