万引き家族/聖家族

カンヌ映画祭で話題になった「万引き家族」。自慢じゃないけれども、僕は賞をとる前からずっとみようと思っていた。

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僕の中では仕事中ずっと貧困や犯罪者の更生をテーマにしたドキュメンタリーを見ている月、みたいなのが不定期にやってくるのだがまさしくこの映画は興味のど真ん中という感じ。 なのに今更?と思うかもしれないが。。

さて、この映画のタイトルは「万引き家族」である。しかし、劇中出てくるのはいわゆる「家族」ではない。 一番下の女の子は虐待されているところを勝手に保護するシーンが明示的に描かれるのですぐわかるが、それ以外は途中までほのめかしはあるものの隠されている。

とはいえ、その関係はつよい紐帯で結ばれていて、作中に描かれるどの家族よりもよく見える。虐待夫婦はもちろん、「おじいちゃん」の月命日に慰謝料をタカりに行く家族だって長女が行方不明なのに平然としている。 これは作為性があるのかもしれないが、身を寄せ合い楽しく暮らしている様子が描かれる。

しかし、この温かい家族は突如崩壊することになる。その家族がやっていたのは他人の子供を勝手に「保護」といって育ててみたり、葬儀や火葬のお金が払えないといって死体を勝手に家の下に埋めたり、さらにはその死人をいきていることにして年金を詐取したりと社会通念上許されるものではなかった。 案の定、その行為はすべて明るみになってしまう。

警察官二人のセリフ

「本当の家族だったらそんなことしないよね?」

「子供には母親が必要なんです」

この2つがこの作品中最も重要なセリフだと考えられる。

「実の親」によってパチンコ屋の駐車場に置き去りにされた子供に「家族の愛」を語り、「産まなきゃよかった」と言い放ち子を殴ったりアイロンを押し当てたり暴行する人間を他人とはいえ愛情を持って養育しようとした人よりも育てるのにふさわしいと決めつける、この無神経な暴力性が主題だろう。

(ついでにいうと、「おばあちゃん」と「姉」の関係も破壊していったよね)

「万引き家族」を崩壊させた警察官はドゥルーズ的に言えば専制君主のイデオロギーの執行者である。 インタビューで監督もそういっている↓し、この感想記事でも「家族」をメインに据えているので言及はここだけにとどめるが、「他人の物を盗んではいけない」という「万引き」の禁止も専制君主のイデオロギーの一環といえるだろう。

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最後に、「万引き家族」は引き裂かれて崩壊したことが示される。それをもっともよく表しているのが収監された「お母さん」が面会時に「長男」に対して実の家族の情報を与えるところ。自分たちの築いてきた関係は<本物>じゃないと思わされてしまったのだろう。

これは本質的に専制君主のイデオロギーの外にしか生きられない「父」を除き、成員がイデオロギーの内側へと回収されていってしまったことを意味している。 ワイドショー的な世界観では、赤の他人が寄り集まって死体の上で生活している気持ちの悪い共同体が解体されてみんながあるべきところに戻っていった。メデタシメデタシで終わる物語なのだが、果たしてそうなのだろうか…?

無意識かつ善意による暴力によって、均質な社会を乱す不穏分子は叩き潰そうというヒステリー。家族は血の繋がった親子によって形成されなければならないという盲目的な信仰。 それは誰を幸せにしていますか?


ちなみに、この映画の舞台はぼくのすむまち東京都荒川区のようだ。ロケ地は荒川区以外にもあるけれども、地名が明示されるのは三ノ輪とか南千住くらいなので設定的には荒川区ということになるだろう。

今は日暮里のほうに引っ越してしまったんだけど、むかしは三ノ輪のあたりに住んでいた。 ジョイフル三ノ輪商店街とかひさしぶりに見たけど、懐かしいなぁ。