Veni, Vidi, Vici

スマートウォッチと聞いて人々が第一に思い浮かべたのは、SISの超有能エージェントであるチャールズ・ロレンスだと思う。

最近は修道士ファルコのほうを描いててエロイカの新作が出てないみたい…

   おちゃらけロレンスが『エロイカより愛をこめて』に初登場したのは1981年から始まった「グラス・ターゲット」だけれども、この冒頭でロレンスはさまざまな「スパイグッズ」を披露してくれる。そして、その中には腕時計型の通信機というものもあった。つまり1981年時点で「通信ができる腕時計」なんていうものはとっくにいろんな人が考えるところのものとなっていたのである。

腕時計が誕生したのは1800年代はじめで、大衆dに手に入るクオーツ式腕時計のデビューが1969年という。(たとえ安物でも腕時計は機械式がいいですよね。クオーツの一秒ごとに秒針が動くのは下品だと思う。)
一方の携帯電話の歴史を見ると、自動車電話やショルダーホンなど「携帯できる電話」自体の歴史はそこそこあれど、今の形の携帯電話の原型といえるものは1987年にならないと出てこない。

1987年のこれ以前は、「移動可能な据え置き電話機」とそれ用の「受話器」というかんじ

 このことが何を意味しているかというと、腕時計型の通信機器というのは今の形の<携帯→スマートフォン>が考案される前に「携帯できる通信機器」としてどんな物理的形状をしていたら良いだろうか?というクエスチョンに対して比較的容易に想像可能だったものに過ぎないということである。
はっきり言うと、スマートウォッチというアイデアは過去の人が考えた未来予想図に出てくるものであって、より優れた形状の通信機器(実際に生まれた携帯、スマートフォン)がある以上真面目に取り組むものではないと思う。こんなものを今更商品化しようとか、本当にバカなんじゃないだろうか。

コンピューターが下手人を捕まえる世界にはなってないけど、
こんなオープンリールの磁気テープは消え去った、ということ
 

 第一、腕時計型にしたらいくら小型になろうが操作時に両手がふさがってしまう。 この時点で携帯を取り出したほうがマシ。スマートフォンとしては現在最大級のGalaxy Note3も片手で操作できるのに、あんな細かい画面しかついてなくてろくなことができないもののために両手がふさがれるとか…。
カメラがついておりカメラを構えると警戒してしまう動物を撮影するときなどに使える、とかいう記事を見たけれども、盗撮目的にしか思えない。カメラは「カメラ然」としていたほうが撮影状態なのかそうでないのかがひと目でわかりやすいので、むしろ安心感を与えてくれる。こっちを向いて携帯をいじっている人を見ると、本当は撮影されてるんじゃないだろうかと心配になる。
スマートウォッチが注目されている理由の一つはヘルスケア方面の機能がある点だけれども、リストバンド方の活動量計があれば良い話で、わざわざ分析結果までそこで表示する必要はない。

毎晩充電するものが増えるのも馬鹿らしい。スマートフォンなら万一充電し忘れててもモバイルバッテリーをつないどいたり(こっちのほうがむしろ充電忘れがちだけど)PCから給電したりできる。しかも、そのまま使える。一方スマートウォッチは充電するためには腕からはずさないといけない。仮に装着したまま充電してる奴がいたら笑っちゃいますね。

最後に言うと、時計は電気で動くものではなくぜんまい仕掛けで動くべきものである。これだけは譲れない。

#今日、ハッカソンの会場でリアルガチにスマートウォッチつけてるひとに出会ったが写真で見るよりはるかにかっこ悪かった。スマートウォッチというコンセプトも逝っちゃってるし、実際それを実現した物もダサいし、もうどうしようもないね。